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今や3児の母・荻野目ちゃん 本当に“六本木純情派”だった

東スポWeb 10/1(土) 10:02配信

 歌手・荻野目洋子(47)が9月29日、都内で行われた作詞家・売野雅勇氏(65)の自伝「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」出版記念イベントに出席した。

 1986年の荻野目のヒット曲「六本木純情派」を作詞した売野氏は、「六本木で遊んでる人たちのノリについていけない私」をイメージしたそうだが、荻野目はまさにそんな純情娘だったという。

「当時18歳ぐらいだったんですけど、お酒も飲めないし六本木で遊んだこともないし。仕事で連れてってもらったりとかはしたんですけど…。行くと曲をかけてくださったりとかして、なんかディスコのお店とか行っちゃうと、ノリノリでイェ~イみたいに盛り上がっちゃって。なんか実際の六本木ってのはホントに知らなかったんです」

 では「六本木デビューはいつ?」と聞くと、「それは皆さんのご想像に…」とアイドル的な模範解答ではぐらかした。

 荻野目についてアイドル評論家は「昔から真面目で、アイドル誌の対談は得意だという卓球ネタが多かった。歌番組『ザ・ベストテン』のムック本では、スタジオのソファで隣になった少年隊と『ダンスの話をしてました』なんて語ったり…」と指摘する。

 子供のころから芸能活動していた荻野目は、実は苦労人。同期の故岡田有希子さんや菊池桃子(48)の陰に隠れ、なかなかヒット曲に恵まれなかったが、7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー」(85年)でようやくブレークした。

「事務所をともに立ち上げた社長とスーパーを回り、みかん箱に立ってキャンペーンしたなんて話も。スキャンダル色はなく、アイドル時代のゴシップ話をテレビ番組で切り売りしたりも一切しなかった」(同)

 高校の同級生だったプロテニス選手と2001年に結婚し、今では娘3人の母だという。

最終更新:10/1(土) 10:02

東スポWeb

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