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謀略を繰り返した真田昌幸、それでも守りたかったのは……

ITmedia ビジネスオンライン 10/1(土) 8:10配信

編集部F: 先週(9月25日放送)のラスト、分かってはいたけど衝撃的でした。「一人の戦国武将が死んだ」という有働さんのナレーションが、重く、切なかったです。ついに真田昌幸が……。

【長谷寺にある昌幸の墓には六文銭が】

小日向えり: ”草刈昌幸”亡くなってしまいましたね。真田丸で主人公は真田信繁ですが、昌幸は主役級だったので、周囲でも「昌幸ロス」になっている人たちがたくさんいますよ。真田幸村14代ご子孫の真田徹さんは昌幸公が大好きすぎて、先週の第38回「昌幸」は観ることができないとおっしゃっていました。元気な昌幸さんを心の中にしまっておきたいそうで……。そのお気持ち、よく分かります。

編集部F: 実はこれまでこの連載で昌幸を取り上げたことはありませんでした。ドラマではもう亡くなってしまいましたが、今回は昌幸についていろいろと教えてください。一体どんな人物だったのでしょう?

小日向: とにかく楽天的で明るい人物だと思います。先週のドラマの中でもその片鱗を見せていましたね。周囲がひいてしまうくらいの(笑)。三谷幸喜さんが一番好きな武将だとおっしゃっていました。私にとっても草刈正雄さんが演じる昌幸公が、本当にそのままのイメージなのです。

編集部F: 戦略家としても知られた武将でした。

小日向: 九度山に蟄居(ちっきょ)させられていたときも、「自分ならば徳川軍をこうやって蹴散らす」などと秘策を息子・真田信繁に語っていたという話があり、常に戦略のことばかりを考えていたそうです。

 戦略家としての一番の真骨頂は、たった半年間で徳川、北条、上杉の元を転々とし、ついには家康をスポンサーに上田城を建ててしまったことです。これこそ昌幸のすごさを象徴しています。

編集部F: ちなみに昌幸は直接的に戦で敗れたことはあるのですか?

小日向: う~ん、撃退された忍城攻めは石田三成が指揮官でしたし、ほとんどないと言っていいのでは。

 あと、昌幸はものすごい数の武将を謀殺しています。ドラマでも室賀正武や春日信達のだまし討ちがありました。信達殺害の回(第8回「調略」)の後には、「昌幸ひどい」とお茶の間で好感度が下がったようですが(笑)、実際にはもっと数えきれないほどの謀殺を繰り返しているのです。

編集部F: 謀殺が得意な戦国武将と言えば毛利元就も有名ですが、昌幸はそれに匹敵すると言ってもいいですね。

小日向: 昌幸の代名詞と言えば「表裏比興の者」。この言葉に代表されるように、昌幸はコロコロと寝返ったり、計算高かったり、自己中心的だったりとマイナス評価する人も少なくありません。けれども、私もそうですが、昌幸が好きな人が口を揃えて言うのが、そのような振る舞いをしていても、ずっと忠誠心は武田家にあるというところが素敵なのです。

編集部F: ドラマの中でも武田家の領地だった甲斐と信濃を取り返すんだと意気込む場面が何度もありましたね。死ぬ間際も「お館さま!」と叫び、武田信玄のことを強く思っていました。

小日向: 元々、昌幸は信玄の馬廻り役を務めていて、とにかく信玄のことが大好きで仕方なかったのです。長男に真田信綱がいたので、本来、昌幸は真田家の家督を継ぐはずではありませんでした。本当ならばずっと信玄のそばで仕えていたかったのですが、タナボタで真田家の当主になってしまいました。それでもずっと信玄への忠義は忘れず、甲斐を取り戻して、最後は信玄の隣で眠りたいと思っていたのではないでしょうか。

編集部F: 軍略も信玄に学んだのですね?

小日向: そうですね。武田家と言えば、孫子の兵法ですから。昌幸は信玄に「我が両目の如き」と評され、「小信玄」という異名もあります。

 これほどまでの忠義があったからこそ、昌幸は魅力的なのだと思います。そして、卑怯な手を使ったり、謀殺を繰り返したりしたのも、真田一族や上田城など大切なものを守るためだからです。決して好んでやっていたわけではないと思いますよ。

最終更新:10/1(土) 18:39

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