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野球の神様はいる!「LAの天使」最後の実況中継

東スポWeb 10/2(日) 16:58配信

元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【ドジャース名物アナ ビン・スカリー氏】ドジャー・スタジアムのプレスボックスで、涙が止まらなくなってしまった。1935年、ある8歳の少年がラジオから聞こえてきたフットボールファンのうなるような歓声に魅了された。その瞬間、少年はスポーツアナウンサーになる夢を抱いたそうだ。

 あれから80年、ビン・スカリー氏は今季限りで、67年という長い長い年月を過ごしてきたドジャースのアナウンサー人生にピリオドを打つ。67年だ。「言葉でその場の絵を彩るアーティスト」「過去との懸け橋」「ロサンゼルスのサウンドトラック」「ストーリーテラー(語り手)」「親友」「父親」…。私のお気に入りは「寒い日に着るのが待ち遠しくてたまらないお気に入りのセーター」だが、ビンさんを表す言葉を挙げたらきりがない。

 ドジャースがまだブルックリンに在籍していた50年からずっとチームとともに存在し続けた人物なのだ。温かく心地のいいトーン、落ち着いたスピードで語る彼の放送は、人物に焦点を当てたストーリーがふんだんに盛り込まれており、野球中継というより何かの物語を聞いているかのよう。野球ファンでなくとも必ず耳にしたことのある声。「『ロサンゼルス=エンゼルの街』に現れた本物の天使」と言った人がいたが、ビンさんを一目見れば、その優しく温かい笑顔からいかにたくさんの人を幸せにしてきたかが伝わってくる。

 58年にドジャースはロサンゼルスに移転してくるが、まだ野球に慣れていないカリフォルニアの観客たちは、スタジアムにラジオを持ち込み、ビンさんの放送を聴きながら野球を学び、楽しんだそうだ。

 あのジョー・トーリが「選手時代に三振を取られて悔しい思いをしている時にスタンドから『ジョー・トーリが三振』ってビン・スカリーがあまりにすてきに言ってくれるものだから、なんだかいいものに思えてきたりしたもんさ」と言ったように、選手たちもスタンドから流れてくるビンさんの声に勇気づけられた。

 50年からドジャースのユニホームに袖を通した選手は975人、全員の名を呼んできた。全員の家族構成、人柄、思い出を調べてファイリングした。ワールドシリーズの前には必ず教会へ行き、「ヒーローだけが誕生しますように」と願うそうだ。「負けたチームがどれだけつらいかを知っているから、その負担が少しでも減るように」と。22日にビン・スカリー氏の門出を祝って試合前に行われたセレモニーで、彼が紹介された瞬間、起こったスタンディングオベーションは3分間全く鳴りやまなかった。そのすごい空気に胸がいっぱい、なんてもんじゃない。隣を見ると、他の記者たちも涙を拭い、鼻をすすっていた。

 高校時代、クラスで最もウイットに富んだ人気者に投票されたビンさんは、マイクを握るといつもの調子で「皆にこの後どうするんだ?って聞かれるんだ。65歳で引退したら向こう20年の計画が必要だけど、89歳を迎える人が引退したら、とにかく『生きる』ことを頑張るしかないと思うんだよ」と会場の笑いを誘った。

 ここまで偉大な人はきっと、二度と現れない。少なくとも自分の生きているうちには。そんな素晴らしい人に出会えたことを心底光栄に思う。

 25日、ビン・スカリー氏が担当したドジャー・スタジアム最後の試合で、ドジャースはサヨナラ勝ちし、見事地区優勝を飾った。野球の神様はきっと存在する。

 ☆ビン・スカリー 1927年生まれ。ニューヨーク州ブロンクス生まれ。大学卒業後、ワシントンのラジオ局のアナウンサーを経て50年、ドジャースの専属実況アナに。25歳でワールドシリーズの実況を担当し、ハンク・アーロンの通算715号、野茂英雄のノーヒットノーラン(96年)なども実況。「20世紀で最も偉大なスポーツアナ」と言われ、82年に米国野球殿堂から「野球放送における殿堂入り」と呼ばれるフォード・C・フリック賞を授与された。

最終更新:10/2(日) 16:58

東スポWeb

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