ここから本文です

戦国期の連歌集を修復 県七尾美術館、能登畠山文化の栄華伝え

北國新聞社 10/2(日) 3:36配信

 戦国期の七尾城や七尾城下町で花開いた能登畠山文化の栄華を伝える数少ない文化遺産が1日、七尾市の県七尾美術館で始まった秋季展覧会「能登地区の文化財~うけつがれてきた珠玉の名品~」(北國新聞社など後援)で展示された。京から七尾に移住した連歌師によって盛んに催された連歌の記録集「賦何船連歌(ふすなにふねれんが)」で、県文化財保存修復工房が1年がかりで修復し、美しい姿でお披露目された。

 賦何船連歌(七尾市蔵)は、七尾城下町で1483(文明15)年に開かれた連歌会の記録集「連歌懐紙(れんがかいし)」で、京から七尾城に居を移した能登守護畠山氏3代義(よし)統(むね)(?~1497)による発句「松風は雲におさまるあした哉(かな)」で始まり、京から下向した文人ら15人が詠んだ連歌百韻(れんがひゃくいん)が約426センチの巻物に記されている。

 畠山氏の連歌懐紙は、賦何船連歌のほか、1523(大永3)年の賦何路連(ふすなにみちれん)歌(が)(明治大蔵)、25(同5)年の賦何人連歌(ふすなにひとれんが)(個人蔵)の三つが現存する。今回、修復後初公開された賦何船連歌が最も古く、修復前は茶色にくすみ、折れも激しく、損傷の恐れがあった。

 修復を終え、文字がはっきり見えるようになり、和紙の裏に通し番号が付いていたことや、間違えた文字を削って書き直した跡なども発見できたという。

 一般財団法人北國総合研究所(金沢市)の調査事業「能登畠山文化の源流をゆく」(のと共栄信用金庫特別協賛、北國新聞社特別協力、七尾市協力)が8月に始まったこともあり、県七尾美術館学芸員の的場久良主幹は「畠山氏は後に滅亡したため、その栄華を伝える史料はわずかしかなく、賦何船連歌の存在は極めて貴重だ」と話している。

北國新聞社

最終更新:10/2(日) 3:57

北國新聞社