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東米商の株集めて理事長に 骨董品投資で美術外交を狙う 根津嘉一郎(下)

THE PAGE 10/14(金) 17:00配信 (有料記事)

 ボロ株を買い集め、「鉄道王」として名を馳せた初代根津嘉一郎の関心は、コメ相場へと向かい、東京米穀商品取引所の株を買い占めに走ります。

 根津のもうひとつの顔である美術品収集家としての活動は、晩年に向かうにつれて熱を帯びてきました。その鑑識眼は根津美術館(東京・港区南青山)に保存されている日本・東洋の古美術品コレクションに見ることができます。投機に始まり、日本・東洋の誇りに投資した人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが振り返ります。


  米穀市場に強い関心 東京米穀商品取引所株買い占め、理事に就任

根津嘉一郎はかねて東京米穀商品取引所(東米商)の経営に参画したいと願っていた。東京青山の根津美術館入り口に立つ記念碑に「東京米穀取引所理事に就任」と刻されているのは根津の米穀市場への強い関心を物語る。

 東米商は東京株式取引所(東株)と並んで投機的機関としてにぎわっていた。東米商は米価の決定機関であり、その高低が庶民の台所を直撃するばかりか農家のふところを揺さぶる点において、東株以上に国民経済的にみて大きな存在であった。東米商は株式会社組織でその株は株式市場に上場されていた。大口株主でないと東株商の経営陣に加わることはできない。

 根津はまず監査役となり、株を買い増して明治34年には理事となる。その後も持ち株を増やし、明治41年には全株の8分の1を占める大株主となる。

この頃、大相場師松村辰次郎による米の買い占め戦が展開されるが、松辰が資金不足に陥り東米商に納入する証拠金としてほとんど価値のない株券を代用証拠金として納める。

 これを取引所が黙認したことが発覚する。この時、根津は渋沢栄一を団長とする渡米実業団に加わり、滞米中であった。やがて松辰も理事長青木正太郎も姿をくらます。帰国した根津は「公共の機関を仲買と理事者が通謀して、公定相場を乱し、これを食い物にするとは容易ならぬことだ。農民と消費者に迷惑を及ぼすものであるから、なんとかして公共機関たる機能と完うさせるようにしなければならぬ」と改革に乗り出す。紆余曲折を経て青木理事長以下執行部は総辞職となる。本文:4,413文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:10/14(金) 18:28

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