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初代美魔女、6年後の今 中国生まれ、元バスケ選手で医学生の経歴 「日本と中国の縁、結ぶ存在に」

withnews 10/7(金) 7:00配信

 今や様々な場面で使われるようになった「美魔女」。2010年、初めて開かれた第1回国民的美魔女コンテストでファイナリストに選ばれた1人に、50歳の中国生まれの杉山怡萍(イーピン)さんがいます。バスケットボールの元プロ選手で、かつ医学生でもあったという経歴の持ち主です。現在は家族の営む貿易会社の役員をつとめながら、通訳や、化粧品会社のプロモーションに登場することも。結婚して日本人になった初代美魔女は、日中両国の架け橋になるため、今も自身の「美」を追求しています。

【画像】奇跡の50歳、100倍の競争勝ち抜いた初代美魔女の美しさ

運命の来日 「祖父が呼んでくれた」

 イーピンさんの両親は、1950年代の中国の有名なバスケットボールの選手でした。生まれつき身体能力がずば抜けていたイーピンさんは、中学校の時にスカウトされ、プロのバスケットボールのチームに所属し、ナショナルチームのU20にも選抜されました。

 その後、上海の名門医科大学に入学し、外科医をめざします。

 転機は大学4年生の時に訪れました。日本の大学から、奨学金付きの留学生として、選手とコーチ就任の話が舞い込んだのです。

 80年代の中国では、留学はまだ珍しいことでした。

 「心が動きました。祖父はかつて日本への留学経験があり、小さい時から日本の生活などをよく聞かされていたので」と語るイーピンさん。留学の誘いを受けた時、祖父はすでに亡くなっていましたが「これは、祖父が呼んでくれたかなと感じた」と留学を決意しました。

 88年に来日し、拓殖大学で留学生として勉強しながら、バスケットボール部を指導し、当時「関東大学女子バスケットボール連盟」の4部だったチームを2部に引き上げました。その後、大学院のゼミで知り合った日本人の夫と結婚。帰化をして、名前も杉山になりました。

「100倍以上の倍率」でコンテストへ

 「美魔女コンテストに参加したのは夫のおかげです」。イーピンさんは、そう振り返ります。

 第1回国民的美魔女コンテスト(光文社主催)へのエントリーを友人からすすめられた当初は、まったく参加する気はなかったそうです。

 締切りまで2週間に迫った時、コンテストのことを相談した夫が推薦人になると言ったので、出場を決めました。

 「夫が、『毎日明るく、家族に元気をくれるので、それを外でも伝えてみたら?』と言ってくれて…」

 そして2300人以上の応募者から、20人の美魔女ファイナリストに選ばれました。倍率は100倍以上の狭き門でした。

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最終更新:10/7(金) 7:00

withnews

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核融合こそ未来のエネルギー問題への答えであり、子どもにだって世界は変えられる、テイラー・ウィルソンはそう信じています。そして彼はそのどちらにも取り組んでいます。14歳の時に家のガレージで核融合炉を作り、17歳となった今、直前の依頼に応えてTEDのステージで自分の物語を(手短に)語っています。