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山本一義さん、逝く 愛する広島の優勝見届け天国へ

デイリースポーツ 10/4(火) 9:00配信

 広島の4番として活躍し、ロッテの監督などを務めた山本一義氏が9月17日、午後9時4分、尿管がんのため広島市中区の病院で死去していたことが3日、分かった。78歳だった。広島市出身。葬儀・告別式は既に近親者で執り行われた。現役時代は広島の初優勝まで低迷期を支え、指導者としては数々の名選手を育成するなど、球界に大きな功績を残した。

 広島が9月10日に25年ぶりのリーグ優勝を決めた1週間後。愛する古巣の優勝を見届けた山本氏は、静かに息を引き取っていた。

 山本氏は広島商から法大へ進学。61年に広島へ入団した。ベストナインを2度獲得するなど、左の強打者として低迷期を支えた。広島が初のリーグ優勝を果たした75年に引退。通算1594試合に出場し、1308安打、打率・270、171本塁打、655打点の成績を残した。

 引退後は76~79年まで広島の打撃コーチとして山崎隆造、高橋慶彦らを育成。近鉄の打撃コーチを経て、82年にロッテの監督に就任。84年からは南海の打撃コーチも務めた。

 91年3月にドミニカ共和国のカープアカデミーのコーチに就任して広島へ復帰。94~98年はチーフ兼打撃コーチとして、緒方孝市、金本知憲、前田智徳らを育てた。

 指導法には一貫した信念があった。座右の銘は「人を愛し、自分を愛し、その仕事を愛そう。それができれば成功者だ」。技術よりも、まず人としてのあり方や心構えを説いてきた。その指導には定評があり、金本は引退会見で恩人の一人として名前を挙げた。

 訃報は祝賀ムードに水を差したくないという故人の意向で、遺族が公表を控えていたという。山本氏は最後まで人としてのあり方を貫き通し、天国へ旅立った。

最終更新:10/4(火) 9:14

デイリースポーツ