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槻橋城跡の歴史に光を、白山・月橋の住民有志 登山口に看板、マップ

北國新聞社 10/4(火) 2:45配信

 白山市月橋町の住民有志が、地元の歴史遺産「槻(つき)橋(はし)城跡」の保全、PRに乗り出した。槻橋城は室町時代、加賀国を治めていた守護富樫氏の家臣である槻橋氏が構えた山城で、遺構は市史跡に指定されている。9月下旬に登山口に看板を設置したほか、城跡を際立たせた散策マップも作成した。地域で保全の取り組みを情報共有し、住民の絆を深める一助にもしたい考えだ。

 城跡は、白山署鶴来庁舎の北東数百メートル先に広がる倉ケ岳(標高565・4メートル)の中腹に位置する。周辺は「御蔵(おくら)山」と呼ばれ、月橋町を含む蔵山地区の名称由来にもなっている。標高250メートル付近に約5千平方メートルの遺構が残り、建物があったとされる平地やそれを囲む土塁、最大で幅20メートル、深さ15メートルにもなる堀、湧水源などが確認されている。

 白山市によると、1488(長享2)年、高尾城が加賀一向一揆勢に攻め込まれた際、槻橋城主の槻橋近(おう)江守重能(みのかみしげただ)は、仕えていた富樫政親(まさちか)とともに高尾城で自害したと伝わる。同じ頃、槻橋城も陥落したとされる。大正期に焼米(やきごめ)が出土したことから米蔵があったと考えられており、「蔵山」の語源になったという。

 月橋町では、市が2014、15年に開いた歴史講座をきっかけに、住民の間で保全の機運が生まれた。当時、城跡につながる登山道は倒木や雑草などで荒れ、住民有志が昨夏に草刈りなどを行った。今年5月には保全活動などを目的とした御蔵山地域活性化委員会を設立した。

 城跡への看板は高さ約1・5メートルで、近くにマップ置き場も設けた。マップはA3判で2500枚作成し、市名勝の六郎杉、県内で1体しか確認されていない金(こん)剛夜叉(ごうやしゃ)明王立像をまつる観音堂、高さ約6・5メートルの磨崖仏の不動明王像がある一(いっ)閑(かん)寺なども紹介している。

 委員会は今月上旬に蔵山地区の全世帯にマップを配り、年度内に登山道の階段整備にも取り掛かる。代表の伊東喜久治町会長(62)は「多くの人が訪れる場所にし、行政にはしっかりとした調査に入ってもらいたい」と話した。

北國新聞社

最終更新:10/4(火) 2:45

北國新聞社

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