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カープ日本一84年の胴上げ投手 山根和夫さん(勝山高出)に聞く

山陽新聞デジタル 10/5(水) 0:30配信

 1979年からの6年間で日本シリーズを実に3度制した。プロ野球セ・リーグで25年ぶりの優勝を果たした広島には、かつて黄金期があった。最後に日本一になった84年の胴上げ投手は、勝山高(岡山県真庭市)出身の山根和夫さん(61)だ。日本シリーズで通算5勝を挙げ、「シリーズ男」の異名を取った右腕。阪急(現オリックス)と繰り広げた32年前の激闘と、12日からクライマックスシリーズのファイナルステージに臨むチームへの“提言”を聞いた。

 ―84年の日本シリーズは第7戦までもつれた。先発した第1戦でパ・リーグ三冠王のブーマーに徹底した内角攻めが、その後の戦いを左右したといわれる。

 「ブーマーさえ抑えれば勝てると思っていた。投手コーチらの指示は『長い腕が届く外角ではなく、窮屈な内角に全部投げろ』。極端な話、ぶつけてもいいぐらいの感覚だった。第1打席は懐深くへのシュートでバットを折り遊ゴロ。あれで阪急打線に内角への意識を植え付けられた」

 ―雌雄を決する第7戦は阪急のエース山田久志と投げ合い、7―2で勝利。10安打を浴びたが153球の完投で初の胴上げ投手となった。

 「ピンチの連続だった。実はシーズン中に痛めた右肩が限界にきていて、痛み止めの薬を飲んで投げていた。九回、最後は代打の石嶺にスライダーを3球続けて遊ゴロ。一塁送球を見届け捕手に抱き付こうと振り返ったら、先に達川が飛び付いてきて思わず抱きかかえた」

 ―当時8年目の29歳。自己最多の16勝(8敗)をマークし、投手王国と呼ばれたチームをけん引した。今季は同郷の岡山県出身の27歳、野村祐輔が最多勝(16勝3敗)に輝いた。

 「28、29歳あたりから打者にいい当たりをされても『アウトはアウト』と割り切れるようになった。ピンチの場面でも勝負を急がず、わざとボール球を放って打ち損じを誘った。今季の野村も簡単にストライクが取れていたし、マウンドでそんな感覚があったんじゃないかな」

 ―首位を独走した今季(89勝52敗2分け)は逆転勝ちが40回以上を数えた。84年も山本浩二、衣笠祥雄らを擁し打線が充実していた。

 「先に3点ぐらい失点しても『我慢しとけ』『何とかするぞ』という雰囲気があった。だから五回まで投げれば、逆転して勝利投手の権利が得られるかもしれないと力を振り絞ることができた。今季の投手陣も粘れば、何とかなるという意識があったのでは」

 ―「江夏の21球」で知られる近鉄との79年日本シリーズ第7戦は先発し勝ち投手。大舞台に強く西武でも日本一を経験した。32年ぶりの頂点を懸けたカープの戦いが間もなく幕を開ける。

 「短期決戦は勝ち運も必要。通算213勝の北別府は日本シリーズで常に良い投球をしながら1度も勝てなかった。野村には、私のように『俺は負けない』という心意気で投げてもらいたい。広島はセ・リーグ覇者。25年ぶりだが『挑戦者』ではなく対等な気持ちで臨むべきだ。日本一になれば、見える“景色”が変わる。それを体感してほしい」

 やまね・かずお 真庭市(旧勝山町)出身。勝山高、日本鋼管福山(現JFE西日本)を経て1975年に広島からドラフト2位指名を受け77年に入団した。75年のドラフト1位は北別府学。達川光男とは同じ55年生まれ。最速140キロ台後半の直球やフォークなどを武器に80~84年に4度の2桁勝利をマークした。日本シリーズは79、80年に各2勝、84年に1勝。87年からは西武で中継ぎ、抑えとして活躍し88年の日本一に貢献、90年限りで現役を退いた。通算78勝64敗8セーブ。広島市在住。

最終更新:10/5(水) 0:30

山陽新聞デジタル

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