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真田信繁の九度山幽閉ライフは意外と幸せだった?

ITmedia ビジネスオンライン 10/8(土) 8:50配信

編集部F: 九度山に幽閉させられている真田信繁たちの生活もだいぶ板についてきたのが先週(10月2日放送)の『真田丸』で描かれていました。農作業したり、近隣の民と親交を深めたりと、とても平和な様子だったので、このまま余生を送れば良かったのにと思ってしまいました。現実には間もなく「大坂の陣」に参戦して、華々しく散ってしまうわけです。

【真田昌幸の墓と真田信繁の供養碑】

 実際の九度山の暮らしぶりはどうだったのでしょうか?

小日向えり: ドラマでもあったように、多額の借金を抱えていたようです。ただ、元々はそれなりの大名だったので、食べるものがなくていつもお腹が空いていたというような生活ではなかったと思います。信繁は連歌をたしなんだり、焼酎を飲んだりしていました。

編集部F: へぇ、焼酎なんて飲んでいたのですね。

小日向: 兄・真田信之の家臣に「焼酎を持ってきてください」と宛てた手紙が残っています。おもしろいのは、しっかりとお酒が入ったつぼのふたを閉めてほしいとお願いしているところです。もしかしたら、前にこぼれてしまいガッカリしたのかな。

 当時、焼酎は高価な嗜好品なので、そこからもそれほど貧しい生活ではなかったのではと思います。

編集部F: ドラマでは「真田紐(ひも)」を作って売るシーンもありました。

小日向: 真田紐については、前にこの連載でお話したように、家臣などに全国を売り歩かせて、そこで見聞きした情報も収集したと言われています。

編集部F: 幽閉ということですが、九度山にいる真田家を監視していた人はいたのですか?

小日向: 浅野家が見張ってはいましたが、そこまで厳しくしていた感じでもなさそうです。元々は高野山に幽閉されたのですが、女人禁制だったのと、あまりにも寒すぎたので、山を下りて九度山に移ったのです。

編集部F: 寒すぎるからというのは許されるのですか?(笑)

小日向: ちょっとゆるいですよね(笑)。九度山で信繁は10人ほど子どもが生まれました。14年間いたので毎年のように家族が増えていったわけです。

 また、根来衆や雑賀衆といった鉄砲傭兵集団とのつながりもできました。大坂の陣で真田軍の鉄砲は百発百中と言われますが、その技術は九度山時代に教わったのではないかと伝えられています。

編集部F: そういう意味では、辛い環境ではあったけど、子どもがたくさん生まれて家族が大きくなって、鉄砲などのスキルも磨かれて、信繁にとっては充実した期間だったわけですね。

最終更新:10/8(土) 8:50

ITmedia ビジネスオンライン