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亡き恩人に感謝の墓参 元台湾少年工妻が鎌倉へ

カナロコ by 神奈川新聞 10/8(土) 17:15配信

 太平洋戦争中、旧日本海軍の戦闘機生産に従事した「台湾少年工」で、11年前に亡くなった男性の妻が、作家で昨年8月に死去した阿川弘之さんの墓参に鎌倉を訪れた。男性は戦後も日本語の短歌を詠み続けた洪坤山さん(享年76)。その作品を月刊誌の巻頭エッセーで阿川さんが紹介し、日本でも知られるようになった。恩人の訃報を知り、「居ても立ってもいられない」と台湾から駆け付けた。 

 戦時中、座間市と大和市にあった航空機工場「高座海軍工廠(しょう)」では、1943年5月から敗戦まで、約8400人の台湾出身の10代の少年が働いていた。彼らの多くが台湾に帰った後も「日本は第二の故郷」と懐かしみ、台湾の親日的な雰囲気の醸成に貢献した。

 台湾では、戦前に日本語教育を受けた世代に現在でも和歌をたしなむ人がいる。洪さんの妻の洪林振振さん(80)は「夫は戦後、工場経営の傍ら、日本語で趣味の短歌を毎日作っていた」と振り返る。

 戦争中、海軍士官だった阿川さんは戦後、たまたま人づてに台湾少年工を知り、「文芸春秋」2003年8月号に掲載されたエッセーで、その歴史とともに、洪さんの「北に対(む)き 年の始めの 祈りなり 心の祖国に 栄えあれかし」という作品を紹介した。

 涙があふれて言葉が出なかったという阿川さんは「無謀の戦争やって、彼らを見捨てた日本を『心の祖国』だなんて思ってくれてる老人の大勢ゐる国が、世界中の何処にあるか」と感激をも記した。洪さんは掲載を言葉にならないほど喜んだという。

 この年は台湾少年工が日本に働きに来てから60周年の節目で、10月に座間市で開かれた歓迎大会には阿川さんも出席した。洪さんは当時、肝臓がんや骨折などで文字通り、満身創痍(そうい)だったが、「阿川さんに一言、お礼が言いたい」と無理を押して車いすで来日。しばらくして亡くなった。

 今年の8月末に阿川さんが亡くなったことを知った洪林振振さんは、「阿川さんは恩人。居ても立ってもいられなくなった」と墓参を決意。9月29日に鎌倉市内の寺院を訪ねた。

 足が不自由で、つえが手放せないというが、急な石段をゆっくりと一段一段、踏みしめるように上り、阿川さんの墓前で手を合わせた。「お礼が言いたかった。心が開けたようだ。本当に良かった」と涙ぐんだ。

最終更新:10/8(土) 17:15

カナロコ by 神奈川新聞