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【デビュー30周年】ミスター女子プロレス・神取忍が「男気秘録」激白

東スポWeb 10/10(月) 15:20配信

 デビュー30周年を迎えたミスター女子プロレスこと神取忍(51=LLPW―X)が5日、メモリアルイヤーにかける胸中を激白した。30周年記念大会「神取祭」(19日、東京ドームシティホール)ではダンプ松本(55)と組んで初の悪役に挑戦。秘話も交えながら波瀾万丈のプロレス人生を振り返った神取は、約14年ぶりの格闘技戦出陣も視野に入れた。

 ――あっという間に30周年だ

 神取:だよな。中3から地元の町道場(神奈川・横浜市)で週3回、柔道を始めたら面白くて。高校は束縛されるのが嫌で部活はやらなかった。プロレスなんて想像もつかなかった。

 ――高校時代から全日本選抜体重別選手権3連覇(1983~85年)、世界選手権銅メダル(84年)。鳴り物入りで86年にプロ入りした

 神取:卒業後は専門誌でも「無職」って書かれてさ。国際大会になると「さすがにまずい」と協会の人が言いだして、町道場の先生が職員にしてくれた。そういえば当時、牛丼屋でバイトしたんだけど早朝に客が来るのが嫌で、モップを自動ドアに挟んでカウンターで寝てたらクビになった。あの時はホントに無職だったな。

 ――当時から力業だ…

 神取:で、町道場の仲間が、旗揚げしたばかりのジャパン女子(92年解散)に履歴書送ったら通っちゃった。半信半疑で面接に行くと、社長が「レスラーは税金対策が大変でねえ」(注・大ウソだった)とか言うわけ。税金払えるかどうかも分からない身だぜ? 五輪の夢もあったけど、断ち切ってプロに入った。

 ――86年8月の旗揚げ戦で故ジャッキー佐藤さん(享年41)とデビュー戦。翌年7月に伝説のケンカマッチでKOした

 神取:あれは理由があった。87年春に眼底をケガしたんだけど、そこにジャッキーさんの攻撃が入った。怒った私は「そういう試合(ケンカマッチ)にしますけどいいですか?」と聞いたら会社は「大丈夫。ジャッキーもOKしてる」と。プロレスの試合として成立させたけど、殴りすぎたかなと反省してる。周囲に謝罪しろと言われても、私は「ああ、本当にすいませんでしたねえ~」と悪態をついちゃった。心から頭を下げられなかったのは心残りだった…。

 ――87年にフリーに転向。全日本女子プロレスに乗り込んで長与千種に対抗戦を迫った

 神取:長与本人もOKだったのに会社同士がダメで対抗戦への熱意が消えた。長与も引退(89年)しちゃうし。フリーの時は弁護士しか頼れなくて、心底疲れたな。

 ――92年8月にLLPWを旗揚げ。対抗戦ブームが到来して北斗晶との名勝負が実現した

 神取:あれは全女にやられた。会場にあいさつに行ったら松永会長(高司氏=故人)が「じゃあ観戦してってくれ」と。そしたらリング上から北斗が「おい神取!」って挑発してくる。何だか分からないうちに戦うハメになっちゃった。

 ――シングル戦(93年4月と12月)は女子プロ史上に残る死闘だった

 神取:今思えば全女のプロデュース力が上だった。初戦は負けたけど、すぐ立ってアピールしようとしたら、レフェリーが上から押さえて立たせないんだ。12月は勝って場内が「ウワーッ!」ってなったら、突然北斗が引退を発表しちゃうし。やられたね(笑い)。

 ――95年7月には女子柔道世界選手権銅メダリストのスベトラーナ・グンダレンコ(ロシア)との異種格闘技戦に挑んだ

 神取:用意した六角形リングが狭くてさ。しかも相手はあの巨体(当時195センチ、140キロ)でしょ? 再戦(98年10月)の時は北尾さん(光司=元横綱)にパートナーを頼んで対策を練って勝てた。格闘技戦は一瞬で決まるスリリングさがたまらなかった。

 ――リベンジに3年も要したのは

 神取:LLPWは選手の体が大きいけど資金がなかったんだよ!

 ――30周年記念大会も目前だ

 神取:この大会を機にプロレス人生30年の集大成に挑もうと思うんだ。

 ――動物とやるのか

 神取:バカ。集大成って言ってんだろ。男子と戦ったり、若手と世代交代マッチをやったり、格闘技戦も久々にやりたいね!

 ☆…格闘技戦も示唆した神取だが、実現すれば2002年8月にオカマのムエタイ選手ジェイナット・パヤクルンポン(タイ)を撃破した一戦以来、実に約14年ぶりとなる。現在の格闘技界は「RIZIN」が注目を集めているが、神取は「全くの白紙状態です」としており、今後に注目が集まる。また政治活動再開(06~10年に参院議員)についても「先のことはどうなるか分からない」と話すにとどまった。

最終更新:10/10(月) 15:20

東スポWeb

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