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氏郷公が縁 24日、奉賛会発足 若松市、日野町、松阪市の3市町連携

福島民報 10/12(水) 10:06配信

 蒲生氏郷ゆかりの地である福島県会津若松市、滋賀県日野町、三重県松阪市の3市町と、各地の顕彰会3団体が連携し、24日に「蒲生氏郷公奉賛会」を発足する。氏郷が会津に保護した千少庵(千利休の子)のつながりから茶道の三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)が特別顧問として参加し、交流の輪を広げる。 
 同日に京都市の大徳寺黄梅院で営まれる蒲生氏郷公法要に続き設立総会を開く。総会には室井照平会津若松市長ら3市町の首長や、新城猪之吉会津顕彰会長らも出席する予定。 
 氏郷が日野に生まれ、会津の前任地が松阪だったことから、3市町は平成14年、ゆかりネットワーク共同宣言を調印し交流してきた。3市町の各顕彰会も交流会や共同酒造りなどで絆を強めてきた。今回はさらに関係を深めるのが目的で、新事業として会津若松市の鶴ケ城本丸での三千家による大茶会の開催を検討している。 
 蒲生氏郷は近江国日野城主の子で、織田信長の次女をめとった。文禄元(1592)年に黒川城を鶴ケ城と命名し、酒や漆器などの殖産政策に努め会津若松の礎を築いた。 
 千少庵は茶道千家宗匠・千利休の次男。天正19(1951)年に豊臣秀吉の怒りをかって利休が切腹した後、少庵は利休の高弟「七哲」の一人だった氏郷を頼り会津に逃れ、鶴ケ城の本丸東南隅に茶室麟閣(指月庵)を造営した。その後氏郷らのとりなしで許され、京に帰り千家を再興。少庵の3人の孫が表、裏、武者小路の三千家を興した。 

福島民報社

最終更新:10/12(水) 13:11

福島民報