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小中閉鎖25年、一気に地域衰退 存続案まとまらず、廃校避け休校のまま

福井新聞ONLINE 10/12(水) 8:56配信

 鉄筋コンクリート3階建ての校舎の窓ガラスにはひびが入り、障子は破れている。外壁のところどころにコケが生え、校庭に向けられた丸時計は8時43分あたりを差したまま止まっている。

 福井市西部の国見岳(標高656メートル)の中腹に位置する同市一光(いかり)地区の「一光小中学校」。1992年3月、小学6年生1人、中学2年生3人、中学3年生1人の在校生とともに学校は閉鎖された。山のふもとにある安居中に転校したり、地区外に引っ越ししたりした。

 88年に一光保育園が廃園。同地区出身で、一光公民館主事の竹内慶一さん(67)は「保育園、学校と順番になくなり、若者は土地を離れざるを得なくなった。地域が一気に衰退した」。竹内さんは81年に山を下りた。87年に168人だった同地区の人口は現在38人。このうち65歳以上は34人で、高齢化率は89・5%に上る。

 同地区にある真浄寺の住職で同公民館長の竹田法英さん(67)は「多くの住民は地域を良くすることより、町へ出ることを優先したのだろう」と振り返る。

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 一光小中は57年、安居小中学校から独立。児童生徒数126人、教職員10人での門出だった。しかし89年には10人を割り込み、教職員の数を下回るまでになった。

 統廃合の話が出た当時、竹田さんは地元青年団に、不登校の子どもを受け入れるフリースクールとして、学校を存続させていくことを提案した。「子どもを下宿させたりすれば、地域が元気になる」という竹田さんの案に、若者たちは賛同した。

 しかし高齢者たちは「よその子どもを預かるなんて責任が取れん」と反発。「何をやってもあかん」という諦めのような雰囲気も漂っていた。結局、長老たちに押し切られる形で、学校の存続はかなわなかった。竹田さんは「自分にもっとリーダーシップがあれば、今とは違った地域になっていたかもしれない。唯一の心残り」と打ち明ける。

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 学校に通っていた子どもたちの思いはどうだったのか。

 一光小中が閉鎖した当時、唯一の中学3年生だった河崎文雄さん(40)=福井市=は「同級生がいなかった自分には同窓会もない。将来の人のつながりを考えると、同級生は多い方が良い」。中学2年だった高橋洋子さん(39)=川崎市=も「(転校して)多くの友達と触れ合うことで、いろんな可能性が広がった」と、統合に理解を示す。

 「いつか子どもたちが戻ってくる古里へ」―。一光小中は、住民の要望で「廃校」ではなく「休校」扱いのまま、四半世紀が過ぎようとしている。

福井新聞社

最終更新:10/12(水) 8:56

福井新聞ONLINE