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『住友銀行秘史』戦後最大の経済事件、イトマン事件を告発したのは私です

HONZ 10/12(水) 10:31配信

本書『住友銀行秘史』は、日本における「戦後最大の経済事件」と言われたイトマン事件を、銀行側からの証言で綴った貴重な資料である。当時、自分は住友銀行東京本店の隣に位置する銀行で残業しながらヒーヒー言っていたが、まさか隣でこんな壮絶な出来事が繰り広げられていたとは…。自分はつくづく子供だったと思う。

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バブルを経験していない若い人には理解できないかも知れないが、1997-98年の大蔵接待汚職事件を契機に大蔵省から金融庁と証券取引等監視委員会が分離独立するまでは、銀行というのはかなり恣意的な(ずさんな? )融資を行なっていたのである。 そして、新しい資本市場や金融規制の流れを理解しないで、いまだに旧態依然とした経営を行なっている古い体質の大企業が不正経理問題などで次々と馬脚を現しているのは、必然の流れと言えるだろう。もはや「時代は変わった」のである。

1990年前後に起きたイトマン事件を覚えているのは、せいぜい40歳代くらいまでであろうから、少しおさらいしておくと、これは大阪の総合商社イトマンを巡って起きた不正経理事件であり、その真相の多くは依然謎に包まれたままである。 繊維商社だったイトマンは、オイルショックで経営環境が悪化したことから、住友銀行(現三井住友銀行)の元常務・河村良彦を社長として起用し、総合商社への方向転換を図った。

ここに目をつけたのが、自称経営コンサルタントの伊藤寿永光であった。伊藤は、目黒雅叙園に隣接する雅叙園観光ホテルを経営していた雅叙園観光の仕手戦に関する融資が焦げ付き、資金繰りに窮する中、住友銀行の磯田一郎会長やその腹心である河村に急接近し、イトマンの経営に筆頭常務として参加するようになり、イトマンを介して住友銀行から融資を受けるようになった。

同時に、雅叙園観光の債権者の一人であった許永中(野村永中)も、伊藤を通じてイトマンと関係を持つようになった。 1990年5月、日経新聞でイトマンの不動産投資による借入金が1兆2000億円に膨れ上がったことが報道されたのをきっかけに、許は河村に美術品や貴金属などに投資すれば経営が安定すると持ちかけ、これを受けてイトマンは許の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で買い受けた。

更に、ここでは磯田の娘(黒川園子)も不明朗な絵画取引に加わっていたとされる。 これらの美術品は鑑定評価書が偽造され、市価の2~3倍以上という価格であったが、河村や伊藤がこれを認識しながら買い受けたことで、イトマンは多額の損害を受けた。それ以外にも、伊藤や許は、イトマンから地上げや実現可能性のないゴルフ場開発へ多額の資金を投入させた結果、3000億円以上の資金が住友銀行からイトマンを介して闇社会に消えていったとされるが、これらの巨額資金の行方は今もって謎に包まれている。

河村が伊藤を抑えられなかった要因として、イトマンが繊維商社立川の株式を巡りアイチと攻防を繰り広げた際に、イトマンの取得金額に50億円上乗せした価格でアイチに売り渡す密約を結んだ河村は、アイチのオーナーと伊藤からその代償として合計10億円の謝礼を受け取ったことで弱みを握られ、伊藤の意のままに操られるようになったと言われている。

1991年元日、朝日新聞が「西武百貨店→関西新聞→イトマン転売で25億円高騰」「絵画取引12点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、絵画取引の不正疑惑をスクープした。続く1991年7月、大阪地検特捜部は特別背任の疑いで、伊藤、許、河村を含む6人を逮捕し、起訴した。2005年10月、最高裁の上告棄却決定により、許について懲役7年6月・罰金5億円、伊藤について懲役10年、河村について懲役7年の刑がそれぞれ確定した。

こうしたイトマンに絡む数々の不正を明るみに出し、住友銀行を救うために、日経新聞の大塚将司記者と組んで様々な内部情報をリークしたのが、実は本書の著者・國重惇史氏だったのである。本書は、國重氏が当時克明に記録していたメモによって再現された、貴重な経済史の資料であり、またそれと同時に、一人のバンカーの生き様の記録でもある。

個人的に存じ上げている國重氏は、「楽天の元副社長・副会長」であり、住友銀行の元MOF担(大蔵省担当)であるが、彼にこれほど壮絶な銀行員時代があったのかと驚くばかりである。 実名で登場する住友銀行の人々も、多くを直接存じ上げているので、読んでいて大変複雑な気持ちになった。行内での恐ろしいばかりの権力闘争と、人の顔色と風向きを見るのに素晴らしく長けた「プロサラリーマン」ぶりを見ていると、仮に自分が辞めずに銀行に残っていたとしても、とても生き残れなかっただろうなとつくづく思う。

次に、本書に出てくる主要な登場人物、特に「バブルの怪人」たちについても説明しておきたい。 主役は勿論、裏社会とつながっている伊藤寿永光と許永中だが、「金屏風事件」の佐藤茂も見逃せない。磯田一郎も河村良彦も所詮は銀行員であり、いとも簡単に裏社会に絡みとられてしまう様は、何か日本の「エリート」のひ弱さやうら悲しさを感じさせるものがある。

- 磯田一郎(1913-1993年):住友銀行元頭取・会長で、「住友銀行の天皇」と称された。「向こう傷を恐れるな」との言葉通りの強引な収益至上主義で知られ、会長時代はイトマン事件を引き起こした。「イトマンのことは墓場まで持っていく」と沈黙を守り、1990年に引責辞任を発表したが沈静化せず、住友銀行全体の不正融資や暴力団との関係、不良債権の実態が深刻なことが次々と報道されていった。

- 河村良彦(1924-2010年):商業高校から学校の斡旋により戦時中の繰り上げ卒業によって住友銀行に入行。高卒としては異例の出世をとげ、同行常務を経て、イトマン社長を務めた。

- 伊藤寿永光(1945年-):イトマン元常務。イトマンが青山に東京本社を建てるための地上げが進まなかった際に、住友銀行名古屋支店が山口組の周辺者である伊藤を仲介屋として紹介したことをきっかけに、イトマンに食い込んだ。保釈・公判中の2003年3月、K1脱税事件に絡み、石井和義元社長に隠蔽工作を指南したとして、証拠隠滅罪で逮捕され、後に懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪が確定した。

- 許永中(1947年-):「日本財界のフィクサー」と言われた在日韓国人で、通名は野村永中或いは藤田永中。2012年12月、母国韓国での服役を希望し、国際条約に基づき日本の刑務所から移送されていたことが判明。2013年9月にソウル南部矯導所より仮釈放された。亀井静香や山口組の宅見勝組長など多くの政治家や暴力団と関係を持ち、また元韓国大統領の全斗煥の実弟とも交友があり、韓国政界にも人脈を持つ。株買い占めや会社乗っ取りなど大型経済事件が起こるたびに、背後にその存在が取り沙汰されてきた。

- 佐藤茂(? -1994年):旧川崎財閥の資産管理会社・川崎定徳を、創業家に代わって長らく番頭役(社長)として経営した。佐藤の名前が一躍有名になったのが、住友銀行が平和相互銀行を呑みこんだ金屏風事件。この発端は、1985年に平和相銀の経営陣と対立する創業一族が、所有株式を仲介役の佐藤に80億円で売却したこと。この購入原資はイトマンファイナンスから融資されていた。佐藤は経済ヤクザの先駆けと言われた石井進・稲川会会長との関係も深く、平和相銀事件を機に竹下登元首相とも太いパイプを築き、「政財界と裏社会を結ぶフィクサー」と言われた。

イトマン事件は刑事事件としては2005年に結審し、許永中は韓国で保釈されて以降、行方が知れなくなっているが、今や当事者の多くが既に鬼籍に入っている。しかしながら、このイトマン事件は、今なお各所でその残影を見ることができる。 そのひとつが、目黒雅叙園問題である。この目黒雅叙園を巡る魑魅魍魎の記録は、『行人坂の魔物 みずほ銀行とハゲタカ・ファンドに取り憑いた「呪縛」 』に詳しく書かれているので、不動産に関心のある方は読んでみると良い。

目黒の行人坂は、江戸時代に火付けの大罪を犯した八百屋お七の井戸があるだけでなく、明和の大火を引き起こした凶事の地として知られている。ここに位置する目黒雅叙園は、イトマン事件を始めとする数々の経済事件の舞台となってきた。地鎮祭は土地の神を鎮めるために行われるのだが、その神は欲に目がくらむ人々に対しては魔物となって牙をむくというのである。

目黒雅叙園を巡る取引は余りに複雑で、不動産の世界に精通した人でないと理解不能なので、その概要をざっと整理してみたい。 目黒雅叙園は、1931年に細川力蔵が本格的な北京料理や日本料理を供する料亭・総合結婚式場として開業した。目黒雅叙園を運営する合資会社 雅叙園は細川一族により経営されていたが、バブル期の過大投資が仇となり、2002年に運営会社の株式会社雅秀エンタープライズが東京地裁に民事再生手続きを申請し、883億円の負債を抱えて経営破綻するに至った。

2007年にこの銀行債権を安く買い取ったのが、米国の投資ファンド・ローンスターで、同社は土地と既存ビルを所有し、新規ビルを建築する傍ら、結婚式場やレストランの運営権は結婚式場大手ワタベウェデングに譲渡した(株式会社 目黒雅叙園として再建された雅秀エンタープライズは、現在はワタベウェディングの完全子会社になっている)。

ローンスターの買収資金865億円はモルガンスタンレーから調達し、その不動産ローンは証券化され、販売された。 2012年、みずほ銀行は大口与信先であるローンスターにこの借換資金を提供、不動産ローン約800億円を証券化し、これをみずほ銀行、新生銀行、三菱商事、ゴールドマンサックスが買い取った。 2013年、ローンスターが目黒雅叙園のほぼ全ての土地(3万7301平米)と、敷地内にある下記の全5物件(延床面積15万5820平米)を入札に出した。

(1)アルコタワー(オフィス)、目黒雅叙園(ホテル)…地上19階、地下3階
(2)百段階段(東京都指定有形文化財)…地上6階
(3)アルコタワーアネックス(オフィス)…地上16階、地下1階
(4)ヴィラディグラツィア(チャペル)…地上3階
(5)アルコスクエア(店舗)…地上1階

これに対して複数の企業が応札し、1340億円を提示したシンガポール政府投資公社(GIC)が優先交渉権を得た。ところが、目黒雅叙園の一部土地に関する裁判が継続中であることを嫌ったGICは交渉から撤退し、2014年、森トラストが1300億円で全ての施設をローンスターから取得した。

ところが、2015年に森トラストは、取得して間もない目黒雅叙園をラサール・インベストメント・マネージメント・インクが組成した特別目的会社(SPC)に1430億円で売却してしまう。新しいオーナーとして名前が出たのはラサールだが、SPCに対する同社の出資比率は2.5%に過ぎず、残り97.5%は中国政府系ファンドのチャイナ・インベストメント・コーポレーション(CIC)が出資しており、現在の実体的なオーナーはこのCICである。

この中にイトマン事件がどう絡んでくるかだが、かつて目黒雅叙園に隣接した目黒雅叙園の新館(洋館)があった。ところが、1948年に「昭和の興行師」こと松尾國三が経営に乗り出し、新館を雅叙園観光ホテルとして分離して新設の雅叙園観光株式会社(現・東北雅叙園)に持たせ、1950年に上場した。合資会社雅叙園はここの地主であり、目黒雅叙園と雅叙園観光ホテルは名前は似ているものの、法的にもオーナーシップ的にも別物だったのである。

ところが、1984年に松尾が亡くなると、未亡人と経営陣との間で経営権争いが勃発し、高名な仕手筋コスモポリタングループ会長の池田保次が支配権を握って以降、雅叙園観光は伊藤や許らの仕手戦の対象になった。雅叙園観光はその過程において1997年に倒産し、ホテルは解体されるに至った。

元々、伊藤らの目当ては目黒雅叙園の敷地にあったのだが、雅叙園観光は土地を所有しておらず、敷地の3分の2は国有地(細川一族が相続税分を大蔵省に物納したため)、3分の1は細川一族の所有で、全てが借地だった。伊藤らはこの土地を再開発して儲けることを画策し、政治家を使って払い下げを工作したが実現はしなかった。にも関わらず、伊藤はこの敷地の再開発計画をイトマンの河村に提示し、これにまんまと引っ掛かったイトマンは、次第に伊藤の食い物にされていったのである。

その後、目黒雅叙園の土地の建築許可に必要な道路面の大部分(再開発地区全体の約13%)を保有するファミリーカンパニーの細川ホールディングスが、当該土地の買い取り工作を繰り返してきたローンスターに対して、突如、底地の借地契約の解除を通告し、地代の受け取りを拒否する挙に出て係争になっていたのが、上記のGIC撤退の原因である。最終的には、プルデンシャル・リアルエステート・インベスターズ・ジャパンを絡めたローンスターのウルトラCによって、この土地の所有権はローンスターへ移転することになるのだが、それがまた裁判沙汰になっている。

イトマンの問題がここまで大きくなったのは、雅叙園観光が土地を所有していないにも関わらず、目黒雅叙園と混同させる伊藤の言説に河村や磯田が騙され、この再開発ができれば一発逆転できると、全く意味のない期待をしたことが原因だった。 このように、長大な不動産取引の論文が書けてしまうほどこじれにこじれた目黒雅叙園問題に、イトマン事件は大きな影を落としている。そして、ローンスターという黒船がなければ、行人坂の魔物は永久に退治できなかったことに、日本人として一抹の寂しさを覚えるのである。

堀内 勉

最終更新:10/14(金) 9:11

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