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リオに「沖縄島」 県系数十~100人 トートーメー継ぎ、民謡も

琉球新報 10/15(土) 6:30配信

 ブラジル・リオデジャネイロ州沿岸部の港町アングラ・ドス・レイス市のイーリャ・グランデ(グランデ島)に、県系人が多く住む集落がある。リオ州は日系人が少なく、同島にウチナーンチュ・コミュニティーがあることは、現地県系人の間でもあまり知られていない。島にウチナーンチュが住むようになってから80年以上がたつが、島の人々は沖縄文化を受け継ぎ、今ではリオの「プチ沖縄島」と呼べるほど沖縄の伝統が根付いている。
 「グランデ」はポルトガル語で「大きな」という意味。島の面積は192平方キロメートルで、石垣島よりやや小さい島だ。人口はおよそ6千人。小さな砂浜のある入り江がいくつも連なる地形で、入り江の一つ一つに集落が形成されている。
 同島の北部には県系人が経営するホテルが10軒以上ある。県系人の数は不明だが、数十人~100人程度いるといわれる。
 島の県系人で最高齢の1世、渡名喜タロマサさん(92)によると1930年ごろ、サンパウロに移民していた仲真次さん一家と上原さん一家が県系人で初めて島を訪れ、居住した。島でイワシが豊漁と聞いた両家は、料理のだしを取る際に使う乾燥イワシ「ダシコ」の生産を始めた。ダシコはサンパウロに住む日本人や日系人が購入し、日本食の料理に使用したという。
 ダシコの生産が軌道に乗ると仲真次さん、上原さんはサンパウロなどにいた親戚や知人を呼び寄せ、次第にウチナーンチュ・コミュニティーが形成されていったという。
 ダシコは日本食の衰退で次第に売れなくなったため、島の人々はイワシの塩漬けの生産に転換した。しかし、80年代に入ると漁獲量が激減。商売が立ち行かなくなり、サンパウロへ引っ越した県系人もいたが、一部は島に残り、塩漬け工場を改装してホテルを経営している。
 島の人々は1世からトートーメーを引き継ぎ、今でも線香を上げている。島のお年寄りは沖縄民謡を聴いて故郷を懐かしむ。2015年には「沖縄祭り」を初開催した。
 女性最高齢のハダマ(旧姓比嘉)・フミコさん(91)は「両親の故郷である津堅島に帰ったことがあるが、この島と雰囲気が同じだった。故郷と似たこの島に、いつまでも住み続けたい」と語った。(稲福政俊)

琉球新報社

最終更新:10/15(土) 6:30

琉球新報