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辛い営業マンさながらの板挟みにあった片桐且元の真意は……

ITmedia ビジネスオンライン 10/15(土) 6:43配信

編集部F: いよいよ『真田丸』も最終章へ突入ですね。真田信繁は「幸村」に改名し、九度山を下りて再び大坂へ向かいます。

【問題になった方広寺の梵鐘】

小日向えり: そういえば、先週(10月9日放送)のドラマで、信繁はきりちゃんに「あなたは何もしていない」と強く指摘されていました。その点については以前、本誌の連載で私も書きましたので、読者の皆さんはぜひご覧になってくださいね。

編集部F: さて、先週は久々に片桐且元が登場しました。これまでドラマの中では小林隆さん演じる且元の活躍がけっこう目立ちましたね。豊臣秀吉が存命のころから石田三成とともに事務方として豊臣家を支えてきました。

小日向: ドラマの且元はいつも困り切ってお腹が痛くなっていますよね。ファンの間では三成とともに「腹痛ブラザーズ」と呼ばれているようです(笑)。

 それはさておき、関ヶ原の戦い後は豊臣家と徳川家のパイプ役として奔走することになるのですが、それが災いをもたらすことになります。元々、且元は徳川家康と親交があったようで、関ヶ原の戦いの前には家康を自分の屋敷に2泊させてあげたそうです。関ヶ原の戦いは西軍側についたのですが、終戦後に長女を家康の元へ人質に出しました。こうした行動が茶々を中心とした豊臣家の人たちを疑心暗鬼にし、徳川に寝返ったのではないかと疑われるようになりました。

 司馬遼太郎さんの小説だと裏切り役として描かれているので、私も最初はそういうイメージを持っていましたが、知れば知るほど、且元は豊臣家への忠誠心が高い人だったのではないかと思うようになりました。豊臣秀吉が亡くなった後、秀頼の補佐役として最後まで秀頼、そして豊臣家を守ろうとしたのではないでしょうか。けれども、家康の手のひらで転がされていたのがかわいそうです。

編集部F: 具体的なエピソードはありますか?

小日向: 茶々が且元を疑うよう、家康がいろいろと仕向けたように思えます。例えば、「方広寺鐘銘事件」のときです。1614年に京都・方広寺の梵鐘が完成し、それを且元が家康に報告したところ、「国家安康」「君臣豊楽」という鐘銘が気に入らないと突っぱねました。これは明らかな挑発で、茶々などは紛糾するのですが、何とか両家の間を取り持つために弁明しようと、且元は家康がいる駿府を訪れました。

 けれども家康への面会は叶わず、徳川側から「秀頼の駿府と江戸への参勤」、「茶々が江戸に来て人質となる」、「秀頼が大坂城を出て他国に移る」といった無理難題を突き付けられたのです。

 大坂に戻って茶々に伝えると、その側近などから疑いの目で見られて、ついには大坂を追われることになりました。どちらからも見放された、悲哀に満ちた人でした。

編集部F: 今の世の中でもあることですね。上司からは何とかして売って来いと言われ、顧客からは無理難題を押し付けられる、そんな板挟みの営業マンのようです……。

小日向: 結局、大坂の陣では徳川側についたのですが、それは本心ではなく、豊臣側から裏切り者と言われるので、帰る場所がなくなったというのが実のところではないでしょうか。とにかく且元は秀頼を守ろうとしたようで、実際、大坂の陣の間も家康に対して秀頼の助命を訴え続けたという手紙が残っています。

 且元は秀頼が亡くなった20日後に病気で急死しています。私は大坂の陣で徳川側についたから怨念か何かで死んだのかと思っていましたが、調べてみると自害という説もあるそうです。且元を知れば知るほど秀頼のことを本当に思っているので、家康に取り入るというよりも、何とかして豊臣家をつぶさないように最後まで動いたのではないかなと思います。

最終更新:10/15(土) 6:43

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