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元戦犯・飯田進さん死去 反戦、若い世代に伝え

カナロコ by 神奈川新聞 10/15(土) 20:02配信

 戦争の悲惨さを訴え続けた元BC級戦犯の飯田進(いいだ・すすむ)さんが13日午後0時40分、慢性心不全のため横浜市の老人ホームで死去した。93歳。京都市出身。通夜は21日午後6時から、葬儀・告別式は22日午前9時半から横浜市港北区菊名2の1の5、妙蓮寺斎場で。喪主は長女美紀(みき)さん。

 太平洋戦争中にニューギニア島に赴任。現地住民殺害などの罪に問われ、BC級戦犯として重労働20年の判決を受け、東京の巣鴨プリズンに収監された。釈放後、戦争体験をつづった著書を数多く出版した。

 社会福祉法人「青い鳥」(横浜市)を設立し、障害のある子どもや家族の支援活動にも取り組んだ。

◆平和思い「いつか大きな実がなる」

 「過去の戦争を正当化しようとする動きが強まっている」と危機感を抱き、自らの加害責任を語り続けてきた飯田進さん。安全保障関連法制に反対した学生団体SEALDs(シールズ)の奥田愛基さん(24)ら、若い世代に「戦争に正義と人道はない。戦争で平和を生み出そうとする考えは間違いだ」と自らの体験を伝えてきた。

 奥田さんが島根県にある私立キリスト教愛真高校の2年生のとき、平和学習の講師として招かれたのが飯田さんだった。飯田さんは涙を浮かべ、言葉に詰まりながら、ニューギニアで武装勢力のリーダーと目された男性を、上官の命令で処刑したことを明かした。

 「人を切るのは、どんな気持ちですか」と聞かれ、振り絞るように「簡単には答えられない」としか口にできなかった。

 奥田さんは、人前で涙を流す飯田さんの表情が忘れられないという。「戦争で人を殺すとはどういうことか、それを背負って生きるのはどういうことか、現実の問題として考えさせられた。『戦争は勇ましい』とは言えなくなった」

 飯田さんは生徒たちと手紙のやりとりを続けた。手紙には、アジア解放という戦争の正義を信じ切っていた自らを反省し、「出来事や見方を疑ってかかることをお薦めします」と書いた。手紙の内容は、飯田さんの最後の著書「たとえ明日世界が滅びるとしても」として2014年、出版された。

 編集を担当した「梨の木舎」の羽田ゆみ子さん(69)は振り返る。「飯田さんが大切にしていたのは、若い世代に自分の戦争の記憶を伝えることだった。過去を封印するのではなく、未来に希望を託していた」

 飯田さんは出版直後に脳梗塞で倒れ、一人では歩けなくなった。それでも戦後70年を迎えた昨年、後遺症に悩まされながらもテレビや新聞の取材を受け続けた。「安保法制によって日本が戦争に近づいたという危機感が背中を押した」という。

 昨年夏、飯田さんは自らの戦争体験を伝えた高校生たちが、国会前で安保法制への抗議行動の先頭に立っていると知り、こう語っていた。

 「若い世代に自分の思いは伝わっている。私が植えた木には、いつか大きな実がなる」

最終更新:10/15(土) 20:02

カナロコ by 神奈川新聞