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「シン・ゴジラ」アジアの漢字表記がバラバラだった! 新?正宗?真? 東宝の回答は…

withnews 10/18(火) 7:00配信

 大ヒット中の映画「シン・ゴジラ」。興行収入は上映2週間でハリウッド版「Godzilla」の最終興行収入を超える33億円を突破し、今もファンを増やしています。アジアでも注目を集めている「シン・ゴジラ」ですが、気になるのが「シン」の文字。中国や台湾などでは「真」「新」など様々な訳がつけられています。海外での訳の意味、東宝の公式見解を聞きました。

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第一作の年にあった「死の灰」事件

 初代の映画「ゴジラ」は、東宝の配給で1954(昭和29)年11月3日に封切られました。観客動員は封切館だけでも961万人の大ヒットとなり、日本の怪獣特撮映画の本格的な幕開けとなりました。

 封切りされた年の3月、米国は太平洋のビキニ環礁で水爆実験をおこない、日本の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びました。プロデューサーで後に東宝映画社長も務めた田中友幸さんはこの事件に接し、特殊技術を担当したは円谷英二さんがあたためていた特撮構想の映画化を決意したと言われています。

 チーフ助監督を務めた梶田興治(こうじ)さんは、朝日新聞の取材に「怪獣ものだからといって世間の笑いものになるような作品にしてはならない――。本多(監督をつとめた本多猪四郎さん)、円谷、田中さんの思いはこの一点だった」と語っています。

▼▼東宝の配給で1954(昭和29)年11月3日に封切られた。新聞などの映画評は「企画だけの面白さ」などと必ずしも芳しくなかったが、観客動員は封切館だけでも961万人と大ヒット。日本の怪獣特撮映画の扉を開けた。監督は本多猪四郎(いしろう)、プロデューサーは後に東宝映画社長も務めた田中友幸、そして特殊技術は円谷英二だった(いずれも故人)。この年3月、米国は太平洋のビキニ環礁で水爆実験をおこない、日本の漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びた。田中はこの事件に接し、円谷があたためていた特撮構想の映画化を決意した。「怪獣ものだからといって世間の笑いものになるような作品にしてはならない――。本多、円谷、田中さんの思いはこの一点だった」。チーフ助監督を務めた梶田興治(こうじ)さん(88)は語る。――朝日新聞▲▲

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最終更新:10/18(火) 7:00

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