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パン1個をもらいにも行けない。熊本地震で避難した障害者が語る「置き去り」の感覚

BuzzFeed Japan 10/16(日) 6:00配信

「熊本地震の被災地で、障害者は見えない存在になってしまった」。自らも被災した専門家や当事者たちは、そう語る。日常生活でさえ一般の人たちより困難な障害のある人たちは、災害時にどんな避難生活を送っていたのか。【BuzzFeed Japan / 籏智広太】

半年経ってもまだ、あの日のまま。熊本地震、被災地のいまを収めた写真たち

熊本地震から半年が経った。その実態を知ると、さまざまな課題が浮かび上がってくる。

「聞こえない」避難生活の苦労

ある一家の話がある。

画家の乘富秀人さん(46)。妻と13歳の息子がおり、家族全員がろう者である「デフファミリー」だ。

熊本市内に暮らす乘富さんは、4月16日の「本震」後、近くの高校のグラウンドに避難し、3日間ほど過ごした。筆談でBuzzFeed Newsの取材に応じた乘富さんは言う。

「避難所ではろう者へ情報を伝える仕組みが整っていなかったため、まったく何もわからなかった」

避難所での案内は、すべて放送だった。耳の聞こえない乘富さん一家にとって、それは情報が何も伝わらないことを意味する。

周りの人が動き始めたとき、何かの放送があったのだろうと、内容もわからないままついて行ってみることしかできなかったという。

「朝食、夜食を配布するときもそれがわからなくて、みんなが並び始めたのに気がついて遅れてしまったがために、パン一個と水も、もらえないことがありました」

「自衛隊がいつ来て、食料や支援物資を持ってきてくれるという情報も放送でした。自分たちは受け取ることができず、開いているコンビニやスーパーを探し回るしかありませんでした」

人波について行ってみれば、すでに知っている「トイレの場所」だったという無駄足も、何度もあった。看板や貼り紙、字幕など「見える言葉」がなかったのが、とにかく不便だったという。

乘富さん一家は偶然、手話ができる知人と出会えたため、通訳してもらうことができた。しかし、全員がそういうわけではない。

知人のろう者の中には、そういった人と出会えず、避難所で「オロオロするばかりだった」という人や、やむなく家に帰った人たちも多かったという。

また、乘富さんは筆談でコミュニケーションを取ることに慣れているが、筆談ができない高齢のろう者たちは、身振り手振りでコミュニケーションするしかなかった。

「苦労されたと聞きました。知り合いの80代の夫婦の場合、何もわからずただただ、避難所で座っているだけだったそうです」

この夫婦は、避難所では情報をまったく得ることができず、食べ物も手に入れられなかった。結局、家具が倒れ、物が散乱した家に戻り、なんとか食べ物を探して過ごしていたところを、後日、ろう者福祉協会の役員が助け出したという。

「避難所でろう者が見落とされていた、という感覚を少なからず覚えました。でも、私たちはなんとか自分でやれることはできる。身体が不自由な人はもっと怖く、悔しい思いもされたのではないでしょうか」

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最終更新:10/16(日) 6:00

BuzzFeed Japan

北朝鮮からの脱出
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