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内村光良が語る「映画館に笑い声を」

カナロコ by 神奈川新聞 10/16(日) 11:14配信

 「映画館に笑い声を響かせたい」

 内村光良(52)は、3作目の映画監督作品「金メダル男」(22日全国公開)で自身の本職である「笑い」を題材にした。「逃げ場がないプレッシャーがあった」と生みの苦しみを語る。

 原案は2011年に上演した一人舞台「東京オリンピック生まれの男」。当時は1歳から50代までを務めたが、今回は、内村に似ていると話題の知念侑李(22)が青年期を担当。原作・脚本・監督・主演と大忙しの現場では、ドーランを塗った顔で監督席に座るなど頭の切り替えに苦労した。

 東京五輪があった1964年に生まれた主人公・秋田泉一は9歳のときに運動会の徒競走で1等賞を手にして以来、その快感のとりこに。「すべての1等賞を獲(と)る!」と驚異の習得能力で、マスのつかみ取りや、火おこし大会などで1位を総なめにする。

 神童ともてはやされるが、思春期を迎えた12歳のとき、水泳部で目にした女子の水着姿に心を乱され、初めて挫折を経験。くじけても金メダルを追い求め立ち上がり、あげくの果てに無人島に漂着するなど波乱に満ちた人生を送る…。

 もともと映画監督を志していた内村は高校を卒業後、神奈川大学に通ういとこの宏幸さんを頼り、横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)の演劇科に入学。東白楽のアパートで共同生活を始めた。「1年に何回か富士山が見えた」「雨が降ると、苦手なカエルが道の真ん中にいて(家に)帰ることができなくて」と懐かしむ。夢を追いかけた青春時代、東白楽、妙蓮寺、大倉山と東急東横線沿線を移り住んでいった。「(一瞬ですが)映画には大倉山の商店街も登場します」と、勝手知ったる風景を盛り込んだ。

 両親は上京時、「5年待つ」と気持ちよく送り出してくれた。「実家は酒屋。長男なので家業を継がなくてはいけなかったけれど、一度も『継げ』と言われなかった」

 コントを続けたい、映画を撮りたい、と諦めずに続けたからこそ、今がある。その思いを、愚直なまでにメダルを求め努力する主人公に投影させた。

 自身にとって欲しい金メダルは、「笑い」と即答。「そのセンスがなくなって、時代についていけないと感じたら引くとき」と気を引き締めた。

【お気に入り】
 エンドロールで流れる主題歌「君への手紙」は、親交がある桑田佳祐に手紙を書き依頼した。曲を聴き、歌詞を目にして、「この曲で終われるのか。何て幸せ者なんだ」と男泣きした。無趣味と言うが、「この夏から始めたことがある」とニコニコ。「毎朝、玄関前の落ち葉を拾うのが楽しみで。雨や風の日も、僕の仕事」と続けた。庭に出て、咲いている花のにおいをかぐと心が落ち着くそう。

(うちむら・てるよし)
お笑い芸人、俳優、作家、映画監督。1964年、熊本県あさぎり町上(現)に生まれ、人吉市で育つ。専門学校で漫才の授業があったことをきっかけに、同級生の南原清隆と85年にコンビを結成。講師をしていた内海桂子・好江の勧めもあり、「ウッチャンナンチャン」として始動し、「お笑いスター誕生!!」で優勝(86年)。バラエティー番組「夢で逢えたら」(88年)の人気で全国区になった。

●記者の一言
 取材の1カ月ほど前、内村さんのいとこの宏幸さんを取材する機会があった。今もコント番組「LIFE!~人生に捧げるコント~」などでタッグを組む二人は「笑いの中毒になった」と同じ言葉を口にした。

 その「LIFE!」が毎週の楽しみだ。時間通りテレビの前に座るのは、小学生の時に夢中だったコント番組「8時だョ!全員集合」以来。リオ五輪で番組が一時休止され、さみしい日々が続いた。

 取材でカエルの話が出た際、内村さんが「LIFE!」で演じる「梅雨入り坊や」のコントに引っかけて、「梅雨入り時期でしたか」とボケてみたが、気付いてもらえず…。後日、ツイッターで宏幸さんに嘆いたところ、「それは気付くのが難しい」と一蹴。笑いは難しい。精進せねば。

最終更新:10/16(日) 11:29

カナロコ by 神奈川新聞