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10・10空襲、南風原町与那覇にも 写真で裏付け 母艦帰還で投下か

沖縄タイムス 10/16(日) 14:00配信

 1944年の10・10空襲から72年。南風原町与那覇への爆弾投下を裏付ける写真が沖縄戦研究者によって初めて確認された。研究者は「空襲被害があったとの住民の証言を裏付ける貴重な一枚」、体験者は「区民にとって忘れてはならない歴史を収めている」と話す。写真は今年刊行された同町教育委員会の「南風原町史第10巻 写真集南風原」に掲載されている。

 印刷された写真には「44年10月10日 オキナワ」などと記載。中城湾の形や兵舎の位置、赤瓦の家屋の密集ぶりから、港町として栄えた現・与那原町からの空撮と判明。写真左には数カ所から煙が上がる与那覇区があり、奥の那覇方面からも煙が上がる。

 沖縄を含む各地で米軍が撮影した写真は、米国カリフォルニア大学に寄贈され、その後、交流のあった韓国・済州大学などに贈られた。済州大へ送られた写真を琉球大学の清水肇教授が2015年2月、県の都市計画関係事業で複写した。沖縄戦研究者の間では、以前から沖縄関係の写真の存在は知られていたが、昨年、与那覇区から煙が上がる写真を沖縄国際大学の吉浜忍教授が確認した。

 同区で聞き取り調査をした吉浜教授は、旧日本軍の公文書である戦闘詳報では同区の空襲に触れていないと指摘。「区民の証言で被害を確認していたが、写真がそれを裏付けた」と発見の意義を話す。

 与那覇が攻撃された理由については、「米軍機が母艦に帰艦する前、危険性軽減のため爆弾を落としたのではないか」と推測。一方、旧日本軍の兵舎があり、港町として栄える与那原に大規模な爆撃はなく「与那覇が攻撃された理由は分からない」という。

 県内外には多数の埋もれた沖縄戦資料がある。吉浜教授は「写真は全て撮影し資料として集めた方がいい。戦争体験者は少なくなっていく。写真や当時の記録は、沖縄戦の実態に迫ることにつながる」と話す。

最終更新:10/16(日) 14:00

沖縄タイムス