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マツダが振り返る自社デザインの歴史…Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2016で

レスポンス 10/17(月) 9:15配信

マツダは、東京ミッドタウンで10月14日にスタートした「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2016」に出展。『MX-5 RF』と『ルーチェ・ロータリークーペ』、そして資生堂と共同開発したフレグランス『SOUL of MOTION』を展示している。

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また開幕初日の14日には、メディア関係者を対象に「マツダデザインの歴史」と題した説明会を実施した。マツダは2020年に100周年を迎えるにあたり、現在はそれに向けて、全社的にブランド価値向上のための活動をしているのだとか。その一環として「自分たちはいったい何者なのか」というところに立ち返り、自社の歴史を学び直しているのだという。説明会では同社デザイン本部ブランドスタイル統括部の田中秀昭 主幹が、これまでのマツダのデザインを振り返り、現在の「魂動デザイン」へと至る道筋を紹介した。

まず第二次大戦後、自動車産業へ参入した当初は3輪トラック(オート3輪)が主力商品で、当初から工業デザイナー・小杉二郎氏によるスタイリングを採用していたことを紹介。やがて乗用車へ進出するにあたって、1959年12月に「機構造形課 造形係」という部署を設立。初期は設計担当部署の中にデザイン組織が置かれていたわけだ。「エンジニアとデザイナーが一緒になって、いいものをつくろうと考えるのは魂動デザインのいまでも同じ」と田中主幹。

この後1960年代は「流麗でシンプルなデザインを目指し、先達の教えを請いなからデザイナーが育った時代」、そして1970年代は『サバンナ』や『コスモAP』に代表される「アメリカン・デザイン」の時代になる。これは国内需要が飽和しつつあることを受けて、北米輸出を意識したものだったという。

ただしこの後のオイルショックによって、世間が豪華さよりも合理的なものを好む方向に変わり、デザインもふたたび変化することになったとか。やがてヨーロッパの影響を大きく受けた、直線的でクリーンな造形を持つ『ファミリア』や『コスモ』などが登場した1980年代へと続く。この変化にはマツダからGMに移籍し、オペルからふたたびマツダに戻ったデザイナー、河岡徳彦氏の影響もあったようだ。

ところが、その後にリーダーとなった福田成徳氏はアメリカ出向時、フリーウェイが合理的なデザインの車種で埋め尽くされ、かつてのアメリカ車に感じた夢や憧れが見られなかったことを悲しみ「クルマはただ合理的であればよいのか?」と自問。「クルマは、もっと心ときめくものでなければならない」との信念で「ときめきのデザイン」を宣言。これが『センティア』やアンフィニ『RX-7』、ユーノス各車に代表される1990年代のデザインとなる。線に頼らず陰影で形を表現し、情感に訴えるスタイリングだ。

この時代、ユーノス『500』は「龍馬」、同じくユーノス『800』は「汗血馬」をモチーフにしたと、デザイン本部モデリングスタジオの呉羽博史部長は解説する。現実の馬ではありえない理想像を空想上の馬に見出し、プレミアムブランドにふさわしい風格や美しさにつなげようとしたようだ。これは現在の魂動デザインが肉食獣の俊敏な動きをモチーフとしながらも、特定の動物の姿勢や部位の造形を模しているのではないという事実に通底しているのではないだろうか。

その後バブル崩壊、フォードの出資比率引き上げによる傘下入りを経て、マツダはアイデンティティ確立に迫られる。さまざまなブランドがあるフォードグループのなかで、マツダとはいったいどんなブランドなのか。ブランド戦略の立案と実行に迫られ、そこで始められたのが「Zoom-Zoom」というブランドメッセージであり、躍動感のある「アスレティックデザイン」というデザイン言語だった。「フォードが、ブランドを大切にしなければいけないということを教えてくれた。これが大きなきっかけとなり、ひと目でマツダとわかるアイデンティティを持たせる方向になった」と田中主幹。

そして、こうした歴史を積み重ねた上に表現される魂動デザインは、線に頼らず体幹を感じさせ、美しいプロポーションの基礎となる「骨格」、書道の止め、跳ね、払いと同様に躍動感を生み出す「リズム」、陰影の変化で生命感を覚えさせる「光の質」という3つの要素で構成されていると結んだ。

なおスライドショーでは、ベルトーネによるルーチェの初期提案モデルや、ルーチェ・ロータリークーペの初期プロトタイプ、水平のキャラクターラインがボディ前後を貫く『サバンナ』の初期案など、貴重な写真資料も紹介されている。

《レスポンス 古庄 速人》

最終更新:10/17(月) 9:15

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