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大空襲からの復興描く 富山の中田さん絵本出版 

北日本新聞 10/18(火) 0:25配信

 富山市堤町通りの中田博さん(74)は、富山大空襲とその後の復興を描いた本「あの日とコスモスとぼくと~富山大空襲の話~」を自費出版した。非売品で市内の学校図書館や希望する知人にプレゼントしている。中田さんは「先人たちが懸命にゼロからの復興に取り組んだことを知ってほしい」と話している。 (社会部・松倉実里)

 中田さんは1942年、8人きょうだいの末っ子に生まれた。長兄は兵隊に駆り出され、2人の兄は若くして病死するなどしたため、両親と幼い4人のきょうだいで暮らしていた。

 45年8月1日の夜、空襲警報が鳴った。母に連れられ急いで近くの防空壕(ごう)に逃げた。爆撃機はいったん新潟方面に向かった後、約2時間後に警報とともに戻ってきた。同時にいくつもの爆弾をばらばらと落とした。街は焼かれ、人々は炎から必死に逃れた。


 たおれて動かない人 火だるまになってもがく人 たくさんのにげまどう人 あたりには火が広がって 真夜中なのに昼間のように明るかった


 中田さんは母に背負われて逃げた。後ろを振り返ると真っ赤なバラのように染まった空が見えた。当時はまだ4歳にも満たない頃。何が起きているか分からず、怖いとも思わなかったが「決して忘れることのできない光景だった」と言う。街は焦土と化し、姉と兄は亡くなった。

 「戦後の原点を記録しておかなければならない」。富山ライオンズクラブの会長を務めていた93年、戦後50年を前に空襲を経験した人や復興に尽くした人の体験を集めた「悪夢-昭和二十年八月-」をクラブで刊行した。

 戦後70年の昨年には、幼い子どもにも空襲を語り継ごうと、絵本を作ることを決めた。百貨店の展覧会で目にした福井県在住のイラストレーター、あんこさんのタッチが気に入り、絵本の制作を依頼した。優しい色使いでほのぼのと描かれたイラストが、空襲の悲しい記憶をより浮き出させてくれると感じたからだ。

 本はことし8月に完成。絵本と解説の2部制で、1部は焼け野原に咲く希望の花・コスモスをテーマに、復興に立ち上がる人や富山の街をあんこさんの絵で表現した。第2部は、中田さんが米国立公文書館などと交渉して集めた資料を基に書いた解説「焦土そして再生」。子どもに絵本を読み聞かせ、親が解説を読んでより詳しく教えてあげてほしいとの願いを込めた。

 中田さんは「悲劇は空襲の一断面にしかすぎない。その裏で、先人たちの無償の愛による復興があったことも伝えていきたい」と考えている。

 絵本の終盤には、次のように書かれている。


 戦争が終わって秋が来た  焼け野原だったまちのあちこちにたくさんのコスモスの花がさいた みんな前を見て進むしかなかった 富山のまちを元通りにしたい ぼくらはがむしゃらだった

北日本新聞社

最終更新:10/18(火) 0:25

北日本新聞