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7年前、メジャースカウトが受けた「高校1年・大谷翔平」の衝撃

webスポルティーバ 1/9(月) 18:10配信

元ドジャーススカウトが見た、大谷翔平の7年間(前編)

 今から7年前──。

 ドジャースのスカウトだった小島圭市が大谷翔平を初めて見たのは、彼が花巻東高校に入学してすぐのことだった。

【写真】こちらの選手は戦力外通告からメジャーまであとわずか

「あれは2010年、4月末のことでした。高校に入ったばかりなのに、大谷くんは練習試合ではもう4番を打っていて、ピッチャーはまだやってなかった。背は高かったんですけどヒョロッとしていて体ができていないので、1年の秋までは投げさせない方針だと聞きました。だから彼はライトを守っていて、ランナーが一塁の場面で、いきなりライト前へヒットが飛んできたんです。そのとき、大谷くんが三塁へ投げたボールが、とんでもなかった......ランナーが二塁と三塁の真ん中くらいのところで送球がサードのグラブに突き刺さって余裕のアウトだったんですけど、それよりもビックリさせられたのが大谷くんの投げ方です。肩の柔らかさ、腕の使い方を見て、これはとんでもない子が現れたと思いました」

 投げ方だけではない。ネクストバッターズサークルでバットを振り、打席で鋭い打球を飛ばして、走る。その姿を見るや否や、ネット裏の小部屋に陣取っていた小島はすぐさま、花巻東の佐々木洋監督に「この子は器が違います。3年後には間違いなくドラフト1位ですよ」とまくし立てている。小島は当時のことを振り返って、こう言った。

「何に驚かされたって、一番は彼のセンスと体の使い方、運動神経です。投げ方、走り方、バットを振る姿から、ピッチャーとしてのとてつもない才能を感じさせられました。体は柔らかいし、肩も柔らかい。すべての動きにセンスがあるんです。僕はメジャーのスカウトだったので、この選手はメジャーのレベルでどのあたりまで行けるのかという物差しでしか見ません。特に高校生に関しては、メジャーでそこそこ活躍するという程度の選手は獲りに行きませんでした。でも大谷くんに関しては、高1の春の時点で、これはメジャーでもとんでもない選手になるという確信がありました」

 小島はすぐ、ドジャースに対して「花巻東高校の大谷翔平は投げること、打つこと、どちらも日本の歴史の中でナンバーワンの選手になる」というスカウティング・リポートを送っている。以降、小島は大谷をマークするため、花巻へ通い詰めることとなった。

 東海大高輪台高からドラフト外で巨人に入団した小島は、プロ6年目の1992年、リリーフとしてプロ初勝利を挙げると、わずか10日間で3勝を挙げ、俄然、注目された。しかしその直後に腰を痛め、二軍落ち。巨人を退団後、左ヒジの靱帯を再建するトミー・ジョン手術を受けた。執刀医はフランク・ジョーブ博士。桑田真澄が手術を受けた4カ月後、小島は桑田と同じ病院で同じ手術を受けていたのである。

 アメリカで孤独なリハビリを続けた小島は、その後、テキサス・レンジャーズと契約し、マイナーから復帰を目指した。桑田が東京ドームで劇的な再起を果たした1997年、小島もアメリカのA級で復帰を果たし、AA級では勝利投手にもなった。翌年には帰国して中日、その翌年には台湾の興農ブルズに所属して、引退。その後、ドジャースの日本担当スカウトとなった。じつは大谷の前に同じ花巻東の菊池雄星に惚れ込んで、獲得寸前までこぎつけたこともある。菊池がドジャースではなく日本のプロ野球を選び、ドラフトで西武に入団することになった半年後、終わったと思っていた小島の花巻通いが、間を置くことなく、またも始まったのである。

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最終更新:1/10(火) 15:25

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