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【セルジオ越後】“大物”だった岡野さんは、まさにサッカー界の水戸黄門だよ

2/21(火) 16:51配信

SOCCER DIGEST Web

僕が実技をして、岡野さんが教壇に立ち、分かりやすく解説する。

 少し前になるけど、日本協会の元会長でもある岡野俊一郎さんが、肺がんのため2月2日に亡くなられた。だいぶ前から病気で苦しんでいたようだけど、またひとり、日本サッカー界の重鎮がいなくなってしまい、悲しい気持ちでいっぱいだよ。
 
 日本でサッカーがまだ市民権を得ていない時代から、このスポーツの発展と成長に尽力されてきた。かつてテレビ東京で放送されていた『三菱ダイヤモンドサッカー』での、穏やかな語り口による丁寧な解説は有名だよね。
 
 指導者としては、64年の東京五輪でベスト8、4年後のメキシコ五輪では銅メダルを獲得。98年に日本協会の会長に就任して、2002年の日韓ワールドカップの成功にも貢献した。
 
 東大卒で、英語も堪能。サッカー界だけでなく、IOC(国際オリンピック委員会)の委員として、国際的な人脈を生かしながら、スポーツを通じて日本と世界をつなげた功績は計り知れない。分かりやすく言えば、“大物”だったということだよ。
 
 当たり前だけど、本当にサッカーが好きな人だったよね。高校選手権では、岡野さんの地元に近い西が丘で必ず顔を合わせていた。
 
 教育テレビでサッカー教室の番組を一緒にやっていた時期もあったね。高校生を対象に、僕が実技をして、岡野さんは教壇に立って分かりやすく解説する。岡野さんからは、「的確なアドバイスをしてくれていますね。どんどん続けてください」と、誉めてもらったのも良い思い出だよ。
 
 少し話は逸れるけど、当時の番組でエラシコをやったけど、全然話題にならなかったね。そういえば、実技の最中に球拾いをやってくれていた何人かの子たちが、今では協会に入ってそれなりの立場についているのも、奇妙な感じがするよ。
 

きっと天国には、素晴らしいサッカー協会ができているんだろうね。

 話を戻すと、岡野さんはとにかく人望が厚く、顔の広い人だった。言うなれば、サッカー界の水戸黄門だ。誰からもリスペクトされていたと思う。
 
 自分が表に立つこともあれば、人を育てるのも上手だった。会社を経営していたこともあって、抜群のリーダーシップを示す一方、すべて自分でやるのではなく、下の人間に大事な仕事を任せて、育てる。まさしく、上に立つべき人だった。
 
 1月には、Jリーグの生みの親でもある木之本さんが亡くなられて、日本サッカーを支えてきた人の訃報が続き、本当に寂しくなるよ。
 
 きっと天国には、素晴らしいサッカー協会ができているんだろうね。そこには、長沼健さん、平木隆三さん、八重樫茂生さん、みんないると思うけど、今のサッカー界をどう見ているのかな。時代が変われば、価値観も変わるとはいえ、第一人者たちの後を継ぐ人たちには、どうしても物足りなさを覚えてしまうんだ。
 
 まず貫禄が違う。それは仕方がないのかもしれないけど、これからの時代を作っていく人たちは、レールを引いてくれた先達者たちのことを決して忘れないでいてほしいね。
 

最終更新:2/21(火) 16:51
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