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レーシング・ドライバー、中野信治の2016WEC第7戦 自戦記──われ、かく戦えり【前編】

3/1(水) 19:40配信

GQ JAPAN

かつてF1をたたかった中野信治、45歳。いまなお世界の第一線で活躍するフリーランスのレーシング・ドライバーである。ここでは、昨年10月に彼がスポット参戦した「2016 FIA 世界耐久選手権 第7戦 富士6時間 耐久レース」の自戦記をお届けする。そこにあるのは、世界を相手に怜悧に、かつパッショネートに、そしてインディペンデントにたたかうひとりの男のプロファイルである。

【2016WEC第7戦のフォトギャラリーはこちら】

「2016 WEC第7戦 富士6時間耐久レースを終えて」と題した原稿がある日、本人から送られてきた。差出人は、11歳からレースを始め、F1やCARTも経てキャリア34年になる中野信治。チームやスポンサーとの交渉も自ら行って欧州チームから世界耐久選手権(WEC)に参戦という最近の彼のスタイルは、“サラリーマン的”ではまったくない。日本人レーシング・ドライバーとしてはむしろ特殊である。速くなくてはやれないが、速いだけでもチャンスはない。「レース・ウィークまでが長い」と中野はいう。世界の第一線で勝つことを目標に現役ドライバーとして戦いつづける彼ならこそ、いえること、わかること。

以下はそんな彼の自戦記である。味読たまわれたし。

■本番3週間前にはじまった

急遽決定した今回の「WEC第7戦 富士6時間耐久レース」への参戦。共に戦うことになったのは、イギリスの「マノーレーシングチーム」。F1のマルシャ・マノーに在籍していた主要メンバーが独立して、新たにル・マン24時間およびWECへの参戦を目的として設立された強豪チームだ。このチームとは今年のル・マン参戦に向けても交渉を続けていたのだが、そのときは話をまとめることができなかった。

チームから連絡があったのは、すでに富士のレース本番まで3週間を切ったぎりぎりのタイミンクだった。だが実は、そこからレース・ウィークまでの道のりが遠かった……。

誤解を恐れずにいわせてもらえば、今の僕にとってはレース参戦にたどり着くまでの戦いのほうが長く厳しい戦いだったりもする。レース・ウィークに入れば、そこからの時間経過は信じられないくらいの速さになる。料理人が手間暇かけて最高の料理を作っても、それを食するのはほんの短い時間だったりするが、それに少し似ているところがあるかもしれない。しかし、最高の料理はそれを食する人すべてを幸せにしてくれるものだ。

チームが久しぶりにコンタクトしてきてくれたのは嬉しい驚きだったが、参戦を実現するまでには契約内容の交渉から契約書の作成、スポンサー交渉、マシンやヘルメットのステッカー作成にレーシング・スーツの手配に至るまで、信じられないほど多くの作業を終わらせる必要があった。

■月曜日に契約、水曜日にサーキット

チームとの交渉は連日深夜にまで及び、寝床につけるのはいつも夜中の3時、4時。それが普通だ。朝起きてメールのチェックに始まり、送られてきた契約書のドラフトに目を通し、また修正。それを繰り返す。スケジュールの隙間を見つけて時間を作り、ジムでのトレーニンク。週に3回のジムでのトレーニングはもう数十年続けていて、すっかりルーティーンになっている。実のところ太りやすい体質の僕が25年以上にわたって体型をキープできているのも、このルーティーンのおかげだろう。やはり、継続は力だ。年に数回しか本番のマシンに乗れない僕にとっては、カートでのトレーニングも重要な時間だ。

この時期は当然のように睡眠時間が削られて、自由な時間は全くといっていいほどなくなってくる。それでも、こうしてレース本番に向けて物事を前に進めていく濃密な時間を苦だと思ったことは一度もない。僕は元来のんびりした性格なので時間に追われるのは苦手だが、不思議なことに、これは本当のことなのだ。この挑戦こそが、今の僕にとって何よりも心からやりたいと思えることだからなのだろう。

大切なのは、それが心の底から実現したいと思える目標や夢であるのかどうか、ということだ。レースを始めた11歳の頃と変わらず、手に入れたいと思える夢を持ち続けられていることを僕は心底幸せなことだと思っている。34年前、僕をこの世界へと誘ってくれた父、そして共に戦い続けてくれている沢山の仲間達には感謝の気持ちしかない。

修正に修正を重ねた契約書にサインをすることかできたのは、レース・ウィークの月曜日だった。時間との闘いはコース上だけではない。僕のように少し特殊なスタイルでレーシング・ドライバーをやっていると、ありとあらゆる場面で時間との戦いがあるのだが、2005年にはじめてル・マン24時間耐久レースを戦って以来、自分自身の中で時間の概念そのものに少し変化が生じたのも事実だ。時間はあると思えばあるし、ないと思えば本当になくなってしまう。不思議なものだ。僕はル・マン24時間を戦い、24時間という時間はその過ごしかた、そして感じかたで全く違ったものに変化することを学んだ。時間は有限ではあるが、自らの意識の持ちかた一つで長くもなれば、短くなったりもする。意識の持ちかた次第で不可能を可能にすることだってできるのだ。

参戦のための全ての作業を終えたのは、レース・ウィークに入った火曜日。この日の午後、ようやく週末に向けての荷作りを開始することができた。ここからはレーシング・ドライバー中野信治に戻り、頭の中を完全にドライバー・モードに切り替えていく。過去の富士での走行データやセットアップ・データを復習して、なんとなくイメージを作り上げる。乗っていない期間の遅れを取り戻すための作業が、ここからスタートするのだ。レーシング・ドライバーとしての経験から、僕は物事を短時間で組み立てていくためのちょっとしたテクニックを持っている。もちろん一朝一夕でやれるものでははないが、これから世界を目指す日本の若いドライバーたちに僕から教えてあげられることがあるかもしれない。

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最終更新:3/1(水) 19:40
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