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フランス代表とマドリーのレジェンド、コパが逝く…

3/3(金) 19:04配信

SOCCER DIGEST Web

3度の欧州制覇を果たしたフランス人初のバロンドール受賞者。

 3月3日、50年代から60年代にかけて、レアル・マドリー、スタッド・ド・ランス、そしてフランス代表でも活躍したレイモン・コパ氏が亡くなったと、欧州の各メディアが伝えている。
 
 85歳のコパ氏は、持病の再発で先週末に入院したが、3日の朝8時15分に息を引き取ったという。
 
 1931年10月13日にポーランド移民の子として生まれたコパ氏は、本名をレイモン・コパゼフスキーといい、地元のクラブでサッカーを始め、スタッド・ランスで2回のリーグ優勝などに貢献した。
 
 技巧的なドリブルなどを武器にゴールとチャンスを量産した彼は、1956年に高額の移籍金でマドリーに加入。59年までの在籍期間で、アルフレッド・ディ・ステファノらとともに強力な攻撃陣を形成し、2度のリーグ優勝、3度のチャンピオンズ・カップ(現リーグ)を成し遂げた。
 
 58年にはスウェーデンで開催されたワールドカップにフランス代表として出場。自身で3ゴールを挙げた他、得点王となったチームメイト、ジュスト・フォンテーヌの多くのゴールをアシストし、チームに3位という好成績をもたらした。
 
 同年にはフランス人として初めてバロンドールを受賞した彼は、母国の英雄となり、後にレジオンドヌール勲章を受章することとなった(これもフランス人サッカー選手としては初)。
 
 59年にランスに復帰。攻撃的なポジションならどこででもハイレベルなプレーを披露した彼は、ここでも2度のリーグ制覇を果たし、67年に35歳でプロとしてのキャリアに終止符を打った。しかし、その後もアマチュアチームに所属し、70歳までプレーを続けたという。
 
 クラブでの生涯記録は541試合出場123得点、フランス代表では45試合出場18得点だった。
 
 自分の名前をブランドにしてビジネスを始めた最初の選手としても有名であり、また立場の弱かった選手のステイタスの向上や権利を守る活動を積極的に行なった。
 
 引退後は自らのビジネスの他、メディアでの活動も多かった。85年には、パリ・ダカール・ラリーにコ・ドライバーとして出場している。
 
 訃報を伝えたフランスの『レキップ』紙は、「フランス・フットボールはレジェンドを失った」と、偉大なる先駆者の死を悼んだ。

最終更新:3/3(金) 19:27
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