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野村克也元監督「環境は人生を左右する。いかに慎重に選ぶかが重要」

3/5(日) 12:00配信

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高校時代、野球部の廃部危機を乗り越え、プロ野球選手になるという夢へと歩みを進めていた野村元監督。その後どのような経緯で球団に入るに至ったのでしょうか。

自分が出場機会を得られそうな球団を探さないと意味がない

 野球部の廃部を訴えていた清水義一先生を説得し、部長に据えることで無事存続させることができましたが、高校3年間、野球部は好成績をほとんど残せませんでした。ただ、大金持ちになって母に楽をさせるためにも、どうしてもプロ野球選手にならなければならない。私のような田舎町の無名選手がプロの球団からスカウトされるはずもなく、残された道は入団テストに合格すること以外にありませんでした。

 そこで高校3年生の秋になると、授業中も各球団のメンバー表を見ては、自分が出場機会を得られそうな球団を探すようになったんです。なぜなら、私のポジションであるキャッチャーは、他のポジションとは違い、レギュラーの椅子が1つしかない。そのチームの中に現役バリバリで実力があるキャッチャーが1人いたら、なかなか試合にも出られません。それでは意味がない。普通の高校生なら、まずは好きなチームを選ぶかと思いますが、1日でも早く貧乏から脱出したい私にはそんな余裕はなかったんですよね。

 当時は今よりも選手寿命が短く、キャッチャーは32、3歳が上限だったように思います。そこで私は、入団して何年か我慢すれば出番が回ってくる可能性も高いことから、レギュラーのキャッチャーが30歳前後で、控えの層が手薄な球団をピックアップすることにしたんです。その結果絞り込まれたのが南海ホークス(現・ソフトバンクホークス)と広島カープでした。

 さらに、「2軍でじっくりと鍛えられ、育てられてきた選手が数多く1軍で活躍している」という評判を聞き、入団テストを受ける先をひとまずホークスに決めたんですよ。即戦力としてトレードや大学のスター選手を獲得することを補強の方針にしているような球団では、若手のチャンスが限られてしまいますからね。
 そんなとき、ずっと続けていた新聞配達のアルバイト中、ちょうどホークスの新人募集の新聞広告を目にしたんですよ。清水先生に相談してみたところ、私の背中を押してくれたうえ、入団テストの場となるホークスの本拠地・大阪までの汽車賃まで出してくれました。そしてテストを受けた結果、合格することができた。まあ、“壁”と呼ばれる、プルペンでピッチャーのボールを受けるためのブルペンキャッチャーが不足していることから採用されたようなんですが、それでも入団が決まったことは嬉しかったですね。のちに、清水先生が球団に「こういう生徒がいるから、ぜひ入団テストで見てあげてほしい」という手紙を事前に送っていたということも知り、本当に頭が下がる思いでした。

 その後、プロ3年目でレギュラーの座を掴むことができたのも、結果的に、自分にもチャンスがあるだろう球団、自分を鍛えて成長させてくれるだろう球団を選んだことが正しかったのではないかと思います。お世話になった恩師の清水先生に出会えた環境にいたことももちろんそうですが、環境は人生を左右する。進むべき環境というものは、自分にとって何が必要かを見極め、慎重に選ぶことが重要ですね。

明日の第六回の質問は、「Q6.プロ野球の世界に入ることが決まったときの思い出は?」です。

取材・文/渡邉和彦

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