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偶然・偶然・また偶然――様々な人との出会いに導かれてきた、帆足タケヒコ(studio picapixels)のクリエイター人生とは?

3/6(月) 12:40配信

CGWORLD.jp

メカモデラーとして、近年ではメカのデザインやコンセプトアートまで手がけるなど、日本を代表する映画やCM、PV制作に携わってきた帆足タケヒコ氏(studio picapixels)。キャリアの半分をゲーム業界で重ねつつ、そこから映像系に転身し、八面六臂の活躍を続けている。そんな帆足氏のクリエイター人生や、モノづくり哲学とは何か。幼少期からの思い出をふり返ってもらった。

<1>大分のプラモ少年、ガンプラにハマる

CGWORLD(以下、CGW):帆足さんはメカモデラーとして長年業界で活躍されていて、最近はコンセプトや設定まで手がけるなど活動の幅を広げられていますが、そもそもの原点は何でしたか?

studio picapixels/帆足タケヒコ(以下、帆足):3DCGの中でも特にメカが好きなんです。そういう意味ではガンプラ(『機動戦士ガンダム』シリーズのプラモデル)が原点でしょうね。ハマったのは小学校5年生くらいの頃かな。

CGW:なるほど、そういう世代なんですね。

帆足:1970年生まれなので、まさに小学生の頃はガンプラブームまっただ中でした。

CGW:ご兄弟は?

帆足:三人兄弟の長男です。下が3歳、その下が2歳下で、全員男性ですね。

CGW:ご実家は?

帆足:父親は高校の教員で、兼業農家でした。大分県出身で、そこで高校卒業まで過ごしました。もっとも僕が生まれた頃はまだ教員ではなくて、ボウリング(掘削)の作業員をしていましたね。公務員試験に受かって教員免許を取るまで、その仕事を続けていたんじゃないかな。当時は東京に住んでいたんですが、横浜ドリームランドの建設などをやっていたそうです。おじいちゃんだか、ひいおじいちゃんだかの体調が悪くなって、実家に帰ったんですよ。

CGW:そうなんですね。

帆足:ちなみに教科も造園土木でした。だから、あまり他にいない先生なんですよ。箱庭みたいなものがいつも家にあって、ちょっとしたジオラマみたいになっていて。

CGW:それは珍しいですね。

帆足:そういえば、学校の課題で庭の設計図などを生徒に描かせていましたね。よく家で採点していました。いらなくなった紙をもらって、裏にラクガキを描いて遊んで。そういったことがホントの原点になっているかもしれませんね。

CGW:家に製図台があったりして。

帆足:そういう立派なものはなくて、定規とロットリングだけでした。建造物はちゃんとした製図道具が必要になりますが、日本庭園でしたからね。

CGW:いずれにせよ、今の仕事にも影響を与えていそうですね。

帆足:たしかに、オヤジは家で何かモノをつくっていましたね。一番ビックリしたのは車をつくったこと。廃車をもらってきて、パーツを寄せ集めて、ジープみたいなものをつくっていました。でも、ボディが全部ベニヤでできているんです。

CGW:公道を走れない系ですね(笑)

帆足:そうですね、田んぼで走ってましたね。

CGW:お母さんも、そういった活動はされていたのですか?

帆足:いや、特にそういうことはありませんでしたが、目が良かったですね。2人の良いところはもらっている気がします。

CGW:弟さんたちは、いかがでしたか?

帆足:全然ちがう道を歩みました。営業と介護職です。

CGW:話を戻すと、ガンプラは当時、学校で流行っていましたよね。

帆足:ちょうど漫画『コミックボンボン』が創刊されて、『プラモ狂四郎』がブレイクして。ガンプラをリアルに汚すみたいなテクニックが紹介されて、一世を風靡したんですよね。それこそいまバンダイにいる川口克己(※1)さんとか、マックスファクトリーのMAX渡辺さん(※2)たちがモデラーとして活躍されていた頃で。川口さんはストリームベースのメンバーとして漫画にも登場していましたよね。

※1:川口克己氏 株式会社バンダイ社員。玩具・模型の企画やプロモーションを担当
※2:MAX渡辺氏 ガレージキットメーカーマックスファクトリー代表


CGW:「パーフェクトガンダム」とかですね。懐かしい。

帆足:そうなんですよ。その頃に出版されたムック『How to build Gundam』、『How to build Gundam 2』(※3)のクオリティがすごくて、子ども心に相当衝撃を受けました。アニメロボットが泥で汚れていたり、エッジの部分で塗装がはがれて地金が出ていたり。そもそもアニメロボットが汚れるなんて考えもしないじゃないですか。あれが、プラモデルにのめり込んだきっかけになりました。

※3:『How to build Gundam』、『How to build Gundam 2』:『月刊ホビージャパン』別冊。1981年7月と1982年5月に発売されたガンダム模型本

CGW:学校でもそういったクラブがあったんですか?

帆足:田舎すぎて中学の部活動は野球部か卓球部しかなかったです。どっちかに入らないといけない。野球は丸坊主になる必要があって、死んでも嫌だなと思って。それで卓球部に入りました。

CGW:人数も......。

帆足:1学年が1クラスしかなくて、同級生が30人で、全校生徒が100人いない中学校でした。

CGW:ではガンプラづくりも独学で......。

帆足:雑誌『ホビージャパン』を読むと、いろんな道具が出てくるんですが、売ってませんでしたからね。自分でいろいろと創意工夫をしました。こういう塗り方をするなら、こういう筆に違いないとか。

CGW:お父さんからアドバイスとかなかったんですか?

帆足:あったかもしれませんが、もう覚えていません。そういえば、一時期ラジコンづくりを一緒にやっていました。時には弟たちも一緒にガンプラをつくっていました。

CGW:じゃあ家庭がサークル活動だったんですね。

帆足:家に勉強机とは別にプラモデル用の机があって、ずっとそこに座っていましたね。親にはシンナー中毒と言われました(笑)

CGW:応募などはしなかったんですか?

帆足:『コミックボンボン』のプラモコンテストに出展して、九州チャンピオンになったことがあります。中学の時だったかな? 受賞式とかは特になくて、誌面に載っただけでしたけどね。

CGW:それだけでもすごいですね。では高校を卒業するまで、学校での部活動とは別にガンプラづくりに明け暮れて。近所に友達はいませんでしたか?

帆足:各々の家が離れすぎていて、近所に二人しか友達がいなかったんですよ。一人は仲が良くなくて(笑)、もう一人とはよく遊んでいました。川で泳いだり、山に行ったり、雪が降れば斜面で滑っていたり。田舎の子どもがやるような遊びはたいてい。

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最終更新:3/6(月) 12:40
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