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【水戸】「自分たちに何ができるのか」。被災地域クラブで戦い続ける細川淳矢の責任感と苦悩

3/12(日) 11:00配信

SOCCER DIGEST Web

「僕らが行っても元気づけられていないのかなと、感じていた」

 東日本大震災から、7年目の3月11日を迎えた。
 
 当日は各地でJリーグの試合が行なわれ、試合前には犠牲者に黙とうが捧げられる。J1の仙台対神戸は「復興応援試合」と銘打たれて開催された。
 
 選手たちは様々な想いでプレーしていたに違いない。この日、東京Vとのアウェーゲームに挑んだ水戸の細川淳矢も、そのうちのひとりである。震災当時は仙台に所属していただけに、その胸中には特別な感情が沸き上がっていたはずだ。
 
 仙台、水戸と被災地域クラブでプレーを続ける体格の良いDFは、自らの境遇を踏まえて、試合後には次のように語る。
 
「あきらめない姿勢や、強い相手に立ち向かう姿勢とか、気持ちを前面に出してやっていこうと話し合っていました。スタッフもみんな、自分たちがサッカーをやる意味、サッカーで何ができるかを考えさせてくれる映像を用意してくれました。
 
 誰が見てくれているかは分からないけど、少しでもいいから、自分たちの想いが通じてくれればという気持ちは、常に持っています」
 
 仙台時代の細川は、ボランティア活動などを通じて、いろんなことを考えさせられた。
 
「避難所を訪れて感じたのは、子どもたちがいるところは明るい雰囲気だったりしますけど、大人しかいないところは……やっぱり考えこんでいるのか、僕らが行っても元気づけられていないのかなと、感じていたんです。
 
 でも、そういう人たちのために、自分たちには何ができるのかって、仙台の時はみんなで話していました」
 
 当時の思い出を紐解く細川は、言葉を一つひとつ、絞り出すように、ゆっくりと話す。サッカー選手として何ができるのか――これまで何度も自問自答を繰り返してきたはずだ。しかし、明確な答えは見つかっていない。自らも被災者であり、そして復興のシンボルとして戦ってきた男の責任感と苦悩が垣間見えた。
 
「自分らに何ができるのか分からないけど、一生懸命にやる姿勢だったり、負けない気持ちというか、気持ちで負けなければ、負けじゃないと思いますし。何かを伝えられればと、ガムシャラにやっていこうという感じでした」
 
 震災のあった11年シーズン限りで仙台を退団した後、12年の9月に水戸に移籍してからも、細川のスタンスは一貫している。
 
「仙台と水戸、どっちが大変だとかは全然関係ない。比べるものではないし、水戸でもたくさんの方が被災されて、苦しんでいた。サッカー選手として、自分のやるべきことは変わらないし、この気持ちは忘れずに、持ち続けなければいけないと思っています」

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最終更新:3/12(日) 11:00
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