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ランボルギーニ ミウラ、その名の由来はスペインにあり!?

3/16(木) 22:32配信

GQ JAPAN

ランボルギーニ ミウラの生誕50周年を記念したツアーが2016年末にスペインで開催された。

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スペインの首都・マドリードからまずは600kmほど南下して、セビリア近郊のパラドール・デ・カルモナの街を目指す。移動の足として用意されたのは、ランボルギーニの現行モデルであるアヴェンタドールとウラカン。それらをスペインの地でドライブするのは、それだけでも刺激的な経験となるけれど、それはあくまでも序章に過ぎないのだった。

■ネーミングのルーツ、ミウラ牧場を訪ねる

2013年に創立50周年の記念すべきアニバーサリー・イヤーを迎えたランボルギーニにとって、昨2016年も重要な意味を持つ年だった。創始者であるフェルッチオ・ランボルギーニの生誕100周年、そしてランボルギーニの名を広く世界に轟かせることに大きく貢献したミウラの誕生から50年であったからだ。このふたつの節目を祝するために、ランボルギーニは2016年にさまざまなトピックスを発信してきた。

まず、100周年を意味する「チェンテナリオ」のネーミングのもととなった、特別な中にも特別なカスタマーに向けての限定車を発表し、そして後者、すなわちミウラの生誕50周年についても各種イベントをオーガナイズした。

今回のツアーは、ミウラの生誕50周年を記念した最後のオフィシャルイベントとして企画されたもので、目的地はミウラのネーミングのルーツであるロラ・デル・リオにあるスペイン最古の闘牛牧場のひとつ、あのミウラ牧場だった。

最初の目的地は、パラドール・デ・カルモナ。そこに宿を取り、翌日は1時間ほどのドライブでミウラ牧場を目指すスケジュールだ。ちなみにミウラ牧場の周辺では、トラッフィックの少ないカントリーロードをミウラで走るチャンスも与えられている。ランボルギーニが掲げたタイトルは「Back to the Name」(もとの名前に立ち返れ)というものだった。

■フェルッチオの決断

1965年、ランボルギーニは後にミウラとして生を受けるモデルのベースとなる、V型12気筒エンジンをミドシップしたベア・シャシー、すなわちボディを持たない「TP400」なるミステリアスなモデルをトリノ・ショーに出品した。創立直後のランボルギーニでは、ジャン・パオロ・ダラーラやパオロ・スタンツァーニという、まだ20代の若さではあったものの、高い志と情熱を持つエンジニアが、その才能を開花させていた。

彼らから提案された高性能なV型12気筒エンジンをミドシップしたスポーツカーのプランに、フェルッチオは当初否定的な意見を唱えていたという。しかし、こちらも20代にして新たにベルトーネのチーフ・スタイリストとなったマルッチェロ・ガンディーニがいた。最初は限定車として、そして最終的には通常のプロダクションモデルとして、ミドシップ・スポーツを、世に送り出すことを、フェルッチオは決断したのだ。

ランボルギーニ車のフロントノーズに掲げられるエンブレムは、フェルッチオが牡牛座の生まれであったことに由来して、“ファイティングブル=闘牛”になった。ランボルギーニにとって、きわめて重要なモデルとなったニューモデルに、彼らはやはり闘牛の名を、しかも闘牛界において最高のバリューを持つ名を与えた。フェルッチオがそう考えたのは自然な成り行きだった。

そして1966年、フェルッチオは、スペインのロラ・デル・リオにある、ミウラ牧場のゲートに立った。そこにあったのは、現在でも変わることのないシンプルな木製のゲート。ここで当時の当主であったドン・エドゥアルド・ミウラに面会し、ランボルギーニはミウラの名を得たのである。

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最終更新:3/16(木) 22:49
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