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監督解任で肩を落としたノムさんに、「なんとかなるわよ!」。心に刻んだサッチーの言葉

3/17(金) 12:00配信

BEST TIMES

1977年秋、プレーイング・マネージャーを解任。原因はサッチーとの交際スキャンダル。もうプロ野球の世界で生きていくことはできないのか……。絶望に立たされた時でも、愛する人の言葉に勇気がわいた。新刊『壁』を発売する野村克也氏が、辛い時に前を向かせてくれた言葉を思い起こす。

最後までかばってくれた、川勝オーナー。そして、サッチーの一言

 シーズンの終盤、公式戦がまだ2試合残っている段階で、クビ宣告を受けました。

 その理由は、成績不振ということではなく、のちに結婚するサッチー(沙知代・現夫人)との交際が原因でした。

 スポーツ紙にも、野村の愛人問題ということでいろいろと書かれました。当時結婚していた女性との関係はすでに破たんし、離婚を前提にした別居生活を送っていたんです。ですから、サッチーと出会ったから家庭を捨てたということでは決してなかったんですよ。

 しかし、プロ野球という人気商売において、そうしたスキャンダルに対する世間の目は厳しいものです。

 球団としても決断を迫られ、オーナー、球団代表、後援会長、後援者らが集まったトップ会談の末、私の解任が決定したのです。

 その中で、プロ野球選手としての資質と女性問題は別物であるとして、最後まで私をかばってくれたのが川勝オーナーでした。

 チームの強化に貢献した私に恩義を感じてくれていたようで、その直後にお会いした際、「申し訳ない。俺一人では野村君をかばいきれなかった」と頭を下げられた。

 私の不徳が招いた解任劇だっただけに、こちらこそ申し訳ない気持ちでしたが、そう言ってくれる方がいるだけで救いにもなりました。

 ただ、そうは言っても、今後の身の振り方を早く考えなければいけないわけです。スキャンダルの影響か、予定されていた日本シリーズのゲスト解説の話もなくなり、正直、「もうプロ野球の世界で生きていくことはできないのか……」とも思い始めていました。

 そんなとき、サッチーの提案で、荷物をまとめて車で東京へ向かうことになったんですよ。私は関西の人間だから、東京に行くといっても何のアテもない。それどころか、自分から野球を取ったら何も残らないですし、42歳という年齢から他に働き口があるかもわからない。

 もう本当にしょげまくってね。車を運転して東名高速を走っているときも、「これからどうやって生きていけばいいんだ、俺は……」なんて、一人でずっとしゃべっていたんですよ。そうしたら、サッチーが大きな声で言うんです。

「なんとかなるわよ!」って。

 彼女にしてみれば、自分が東京で頑張らなければ仕方がないという気持ちが強かったんでしょうね。

 背中をドンと押されたかのように、勇気づけられましたね。

「そうか。なんとかなるか。やれる限りのことをやってみるしかないな」と。

 結局、私はその後、ロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)で1年間、西武ライオンズで2年間プレーし、45歳まで現役生活を続けることになりました。

 2つの球団に移籍できたのは、「野村は野球の知識が豊富だし、現役としてもまだ使えるから採ったほうがいい」と口添えしてくださった川勝オーナーのおかげなんです。

 我が人生の危機について振り返るとき、南海ホークス在籍時も含めて、大変お世話になった川勝オーナーのことを思い出さずにはいられません。

 そして、それを乗り越えるきっかけを作ってくれた「なんとかなるわよ!」という言葉は、今でも心に刻まれています。

明日の第十八回の質問は、「Q.18 現役引退後に9年間続けた評論家活動で得たものは何ですか?」です。

取材・文/渡邉和彦 写真/高橋亘

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