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戦友・富野由悠季と安彦良和、そして古川登志夫の駆け抜けた“ガンダム前夜”70年代アニメ史

3/19(日) 9:37配信

otoCoto

アニメ黄金期を作りあげてきた“巨匠”たちの物語を紐解くレジェンドクリエイターインタビュー。

今回お招きしたのは、『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザインなどで知られる安彦良和さん。アニメ黄金期を牽引してきたカリスマクリエイターとして知られる安彦さんの“これまで”そして“これから”を、『機動戦士ガンダム』でカイ・シデン役を務めた声優・古川登志夫が全3回に分けて聞き出します!

レジェンドクリエイターインタビュー
安彦良和×古川登志夫[安彦良和 THE ORIGIN編]


古川登志夫
(以下、古川):
これまで2回に渡って、ガンダムを中心に安彦先生のご活躍ぶりをお伺いしてきましたが、今回はそこにいたるまでの、70年代の話を中心におうかがいしたいと考えております。まず、そこにいたる前の部分、先生がアニメ業界に入ろうと思われたきっかけを教えていただけますか? 少年時代? 学生時代? なにか原体験的なできごとがあったのでしょうか。

安彦良和
(以下、安彦):
動機が不純なんですが、“食うため”というのが本当のところです。虫プロの養成所に入った当時(22歳)はアニメのことなんて何にも知らなかったんですよ……あ、いきなりですが、ちょっと宣伝いいですか?

古川:
はい、もちろん。

安彦:
実は、3月に自分史みたいな本を出したんです。三分の二は青森の地方新聞の記者さんが書いた連載記事なんですが、今話したような裏話的な話も書かれています。しかも、なんとあのお固い岩波書店から。タイトルは『原点 THE ORIGIN』。生い立ちから、学生時代、アニメ業界時代、そして現在までをふり返った本になります。

古川:
『原点 THE ORIGIN』とは良いタイトルですね(笑)。であれば“どうしてアニメーターになろうと思ったのか”といった話はそちらで読んでいただいた方がよさそうですね。では、その辺は少し飛ばしていきましょう。いろいろあって、“食うため”にアニメーターを志した安彦先生が、数あるアニメ制作会社の中から、虫プロを選ばれた理由を教えてください。

安彦:
ある日、新聞広告を見ていたら、虫プロ(編集部注:正式名称は虫プロダクション。漫画家・手塚治虫が立ち上げたアニメ制作会社。日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』などを手がけたが1973年に倒産した)が新入社員の募集をやっていてね。当時の僕は清瀬に住んでいて、そこから江古田の写植屋さんに通っていたんだけど、虫プロのスタジオがちょうどその通勤路上にあったんですよ。ああ、ここなら行ける、って。申し訳ないんだけど、そんな理由なんです。

古川:
そうだったんですね!(笑) ちなみに実は僕も、若い頃にあの辺をうろうろしていたんですよ。西武線沿線には、クリエイター志望の若者がたくさん集まっていました。

安彦:
トキワ荘以来の伝統じゃないかな。今でもたくさんの漫画家が住んでいますよ。僕がそこに住んだのはまったくの偶然なんですけど。

古川:
虫プロ時代にはどういった作品に携わっていらっしゃったんですか?

安彦:
皆さんがご存じの作品では『新ムーミン』(1972年)ですかね。まだ入ったばかりの新米だったんですが、オープニングをやったんですよ。アニメ制作にはいくつかの班があるんですが、回された班がオープニングをやることになって。3人1組のチームで作ったものなので、全部が僕の仕事というわけではないのですが、冒頭のペン描きされたムーミンがピョンと逆立ちすると色が付くという部分は僕のパートですね。これが、初の「原画」仕事になります。

古川:
これを新人時代に! しかもたった3人で作られたというのが凄まじい。

安彦:
この頃のオープニングっていうのはそれくらいの少人数で、片手間にやらされたもんなんですよ。今でこそ大がかりですけどね。ベテランさんが1人と、僕と、そしてやはり新人原画だった川尻善昭くんの3人でやりました。川尻くんはその後、マッドハウスに移籍してハードボイルドな作品(『妖獣都市』『バンパイアハンターD』など)を多く手がけていますね。元気な熱血アニメーターでした。

古川:
ほかにはどんな作品に関わられたんですか?

安彦:
虫プロはその後、すぐに畳むことになってしまったので、『新ムーミン』の後にやった『ワンサくん』(1973年)で最後じゃないかな。間に『小さなバイキングビッケ』とか。僕は本当に最後の方のスタッフだったので。

古川:
手塚先生とはお会いになられたこと、あるんですか?

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最終更新:3/19(日) 9:37
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