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WBCで全敗、台湾野球なぜ弱体化? 合わない収支と天下り、悲しき“公務員野球”の末路

3/20(月) 10:00配信

ベースボールチャンネル

 WBCで全敗に終わった台湾代表。野球強豪国であるはずが、まったく元気なく敗れた背景には何があるのか。日本とソウル、両方の会場で取材した台湾人記者は現状を嘆いている。そこには試合以前の問題は存在していた。台湾野球の弱体化を招いた分裂騒動を追う。

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「7回からの悲劇」。繰り返された台湾の崩壊

 3月9日は、台湾野球ファンにとって眠れない夜となった。

 第4回WBCに挑んだ台湾代表は、3戦全敗でグループAの最下位となり、次回のWBCは予選からの参加を余儀なくされるという悲惨な結末となった。そのうちの2試合は、7回までリードしていたものの、マウンド上のピッチャーは緊張感を保てずに簡単に失点。試合を落としていた。リードを最後まで守れない、野球の醍醐味を失ったような試合は、選手・ファン双方が痛感している。

 台湾の野球ファンはこのような崩壊を「7回からの悲劇」と呼んでいる。前回のWBC、日本対台湾の死闘も、7回からピッチャーを交代してから状況が一変。遡れば、2004年のアテネ五輪も、高橋由伸(現巨人監督)による7回の2ランホームランをはじめ、最後に逆転されている。もちろん、日本が台湾を破る結果は珍しいものではないが、なぜ台湾はいつも後半に崩れてしまうのか。

 3試合終了後、台湾代表の元メジャーリーガー胡金龍外野手(富邦)は大会を振り返った。「台湾野球はもっと反省しなければならない。育成、学生野球、それは基礎であり基盤。国が良い基盤を築けば、良い選手も育つ」。7打数4安打のリン・クンショウ捕手(富邦)も「今回は良いチャンスだ。台湾野球は大きな変化が必要」と明言した。

 投手陣の大乱調には、20年間台湾野球界が良いピッチャーを育てられないという揺るぎない事実がある。どのような問題が存在するのか。

アマとプロの対立。きっかけは負傷めぐる補償か

 台湾野球界には、台湾野球協会(協会)と台湾職業野球連盟(中職CPBL)という二大勢力がある。1973年に創立された協会は、当時いわゆる「野球の最高峰」として存在し、アマチュア野球を全面的に支援する組織。協会は、郭源治、郭泰源や荘勝雄など日本の野球界でも活躍した選手を育てた実績がある。その時代は、協会が国際試合すべての主導権を握っていた。

 しかし、1989年に台湾でもプロ野球が創設される。CPBLだ。アマチュアより高いレベルのプロ野球が開始された。創設期は、まだ協会が育成した選手たちがプロ野球を推進していたので、お互いの関係はそこまで悪くなかったが、1998年のバンコク・アジア競技大会から、代表選手招聘をめぐり分裂が始まった。

 当時はプロ野球選手も招聘可能で、協会は「代表選手の招聘は協会の仕事。プロ野球でも協会の命令に従う」を表明し、分裂していた「CPBL」と「台湾職業棒球大聯盟(2002年まで存在したプロ野球リーグ。略称はTML)」から12名のプロ選手を呼んだ。なお、この後の国際大会でも、この形での招聘は続いた。

 2009年のWBCで、ついに問題が爆発した。当時協会は自前のコーチ陣を用意し、24名のプロ野球選手(海外で活躍するのは10名)を招聘。しかし、プロ野球球団の興農ブルスとLa Newベーアス(現在のラミゴ)は「選手を保護したい」という名目で多くの選手派遣を拒否。実はその前から火種はあった。プロ野球選手が国際大会に出場し怪我をした際、協会は治療費用を支払わず、協会はプロ側の信頼を失っていた。

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