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棚橋弘至が古い組織を変えた方法。一番にこだわらなかった一番の男。

Number Web 3/21(火) 8:01配信

 現在プロレスブーム再燃と言われて数年が経ち、新日本プロレスの会場は本当に景色が変わった。"プロレス女子"略して“プ女子”という言葉まで生まれた会場には女性や子供の客層が増加したのと同時に観客動員もV字回復したのだ。

 その苦しい時代を支えたのが“第三世代”で、新しい時代を作ったのが棚橋弘至であると言える。もちろん棚橋以外にも功労者は多数いるのだが、その中心に棚橋がいなければ今の風景は見られなかったであろう。

 私がプロレスを見始めたきっかけが、中学1年生の時(1995年)に見た深夜の「ワールドプロレスリング」である。既にゴールデンタイムでの放送はなくなっていたが闘魂三銃士の時代で、そこには熱狂があった。愛知県体育館、名古屋レインボーホールの大会は必ず観戦にいき、当時の熱狂と集客力は今でも覚えている。伝説となった10.9UWFインターナショナルとの全面戦争からnWoブームとムーブメントを起こしていた。

 2000年代に入ると、プロレス界の盟主である新日本プロレスは暗黒時代に突入した。世間は空前の格闘技ブームで、立ち技のK-1や総合格闘技のPRIDEが台頭してきた時代だ。棚橋が入門したのは1999年4月の事である。

 本書では棚橋のプロレス愛で奇跡の復活に導くまでの日々を激白している。

迷走する会社、相次ぐ離脱者。どう向き合うか?

 2000年代に入ると観客動員は徐々に落ち込んでいき、次第に退団者が相次いだ。長らく新日本プロレスのトップだった橋本真也や武藤敬司、佐々木健介、長州力、藤波辰爾。あげだしたらキリがないほどである。

 この頃から、新しい試みが増えていく。エンターテイメント性の強い「レッスルランド」や、アパレルメーカーとのコラボ興行である「デビロック興行」がそうだ。老舗である故かノれない選手も多くいたというが、棚橋は違う。すべて肯定から入るのである。

暗黒時代を耐えた棚橋たちがいたから、今がある。

 「戦うテーマは、会社から与えられるものをただ待っているのではなくて、自分から見つけていくものだ!」

 そんなものが盛り上がるはずがない! と否定から入っても、何も得られないのである。「それは無茶ぶりだろ」と感じることは「自分の発想にまったくなかったこと」とも捉えることができる。それならばと前向きに取り組んでやり遂げたときに、経験の幅は確実に広がっているのだ。

 新日本プロレスが迷走し、低迷する中で、批判的なコメントを残して退団していく選手が殆どだった。ファンである私も、柴田勝頼の「辞めることが新日本だった」の言葉に共感したのを覚えている。

 理想と現実のギャップに、悩みに悩んでの決断だと理解できたからだ。

 しかし今の新日本プロレスがあるのは、棚橋を含むあの時残った選手が耐えたからに他ならない。新日本で頑張ってきた選手は皆「何がなんでも新日本プロレスをよくしていくんだ」と強く思っていた。

 出来ない理由を列挙して放り出したら、新日本プロレスは終わり。彼らが耐えて守り抜いたから「いま」があるのだ。

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最終更新:3/21(火) 8:01

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