ここから本文です

日本人がプライバシー権を勘違いしている限り、働き方改革は成功しない

3/27(月) 9:10配信

HARBOR BUSINESS Online

 政府の大号令のもと、急速に進められつつある働き方改革。だが、「プライバシーの問題を理解できなければ、働き方改革は成功しない」と警鐘を鳴らすのが、元財務官僚で、ハーバード・ロースクールを卒業した山口真由氏だ。それは一体どういうことなのか? 山口氏に緊急寄稿していただいた。

 最近、プライバシー権に関するニュースが増えている。というと、令状なしのGPS捜査を違法として、3月15日の最高裁判決を思い浮かべるかもしれない。窃盗が疑われる人物の自動車19台に、令状を取らないでGPS端末が取り付けられたこの件で、最高裁は、個人のプライバシーが強く保護されるべき場所や空間を含めて、逐一、所在や移動状況が分かってしまうGPS捜査には令状が必要と判断した。

 だが、プライバシー権に関するニュースは、決してそれだけではない。最近話題の働き方改革は、まさにプライバシーの問題なのに、それがないがしろにされている。

◆そもそもプライバシー権とは何か?

 そう言っても、多くの人はぴんと来ないのではないか。そもそも、日本ではプライバシーは、不当に矮小化されている。個人情報保護法が導入された際に、住所や名前などの個人情報=プライバシーという誤解が広まってしまったからだろう。実は、個人情報とプライバシーは、まったくの別ものである。

 住所や名前などの流出騒ぎは、個人情報の問題でプライバシーの話ではない。路上の監視カメラが増えるのは、プライバシーの問題のひとつではあるが、プライバシーの本質はそこにはない。私がハーバード・ロースクールで学んだのは、プライバシーというのは、究極的には「自分の私的領域を国に管理されない権利」、言い換えれば、「自分の人生を自分で選び取る権利」ということだった。

 具体的に説明していこう。

 アメリカの連邦最高裁が、憲法に書かれていないプライバシーの権利を判例で認めたのは1965年。夫婦の寝室での決定権をめぐる裁判だった。

 この当時のアメリカのコネチカット州では、キリスト教の教えに基づいて避妊が違法とされていた。夫婦に避妊の指導をした女性は、この法律に違反して逮捕された。そこで、最高裁は、いつ何人の子どもを産むかという家族計画は、まさに人生の選択なのだから、政府がとやかく言ってはいけないと判断して、避妊を禁じる法律自体を違憲とした。

 この「人生を選択する権利」は、1973年には、産むか産まないを決める女性の権利に発展した。妊娠したティーンエイジャーの女の子にとって、今、子どもを産むか、それとも学業を続けるかは、まさに人生の選択。もちろん、この場合には、お腹の中には命が宿っているので、母親の選択権だけが問題ではない。それも踏まえて最高裁は、妊娠初期の段階までは女性の選択を広く認めたのだ。

 さらに、2003年には、人生のパートナーを選ぶ権利が認められた。キリスト教に基づいて同性愛を禁じていたテキサス州で、家の中で性行為に及んでいた同性カップルが逮捕された。このときにも最高裁は、誰とロマンチックな関係を築くかというのは、個人が主体的に選ぶべきことなのだから、政府が口を出すべきではないとして、法律を違憲とした。

◆パブリックとプライベートを徹底的に分けて考える

 アメリカのプライバシーに関する判決から気づくことがある。

 公的領域(パブリック)と私的領域(プライベート)があって、プライベートに関しては、最大限の個人の自由を認められるということだ。

 冒頭のGPS捜査に関する判決で、日本の最高裁が、GPS捜査が公道だけではなく、個人の敷地内のような私的領域に踏み込むことを理由にして、プライバシーの侵害と断じた。

 この「公道」「私的領域」の区別は、物理的な話だけではない。どういう肩書を手にして、いかなる業績を残し、世間からどう評価されるかという職業人生は、いわば個人のオフィシャルな経歴、公的領域である。それに対して、アメリカの最高裁が繰り返し判断しているように、誰を人生のパートナーとして選び、いつ子どもを持って、どういうふうに愛情をかけて育てていくかという家庭生活は、まさに個人の私的領域なのだ。

 職場や学校など多くの人と関わる公的領域には、守らなければならないたくさんのルールがある。それに対して、私的領域は、もっと自由であるべきだ。自分の人生でどんな価値を大事にし、誰と関わり、何を遺すかは、あなたの人生なのだから、あなたが主体的に決めるべき。自分と自分の近しい人たちが納得できればいいのであって、他人から、ましてや国からとやかく言われる問題ではない。

 そう、この「自分の人生を主体的に選ぶ」という考え方が、プライバシーの本質である。

◆今の働き方改革は、プライバシーを無視している

 そう考えると、働き方改革というのは、まさに個人のプライバシーの問題だと気づく。

 仕事と家庭、つまり、パブリックとプライベートのバランスをどのように振り分けるかは、個人の人生で重要な選択となる。仕事に人生を捧げて、家庭を省みないと言われてきた高度経済成長期のサラリーマンたちが、本当にそういう人生を送りたかったというと、実際は違うかもしれない。全員が遅くまで働き、それをよしとする環境では、子どもをお風呂に入れたいから早く帰りたいという希望は通りにくい。これは、自分の人生の配分をどうするかという、個人の決定権を侵害している。ワークとライフのバランスを自分で決めるという「ワークライフバランス」は、まさにプライバシーの本質をついている。

 電通で起きた高橋まつりさんの事件も、この自己決定権を踏みにじられたがゆえに起きた悲劇とはいえないだろうか。苛烈を極める仕事の中で、プライベートに割ける時間は減っただろう。たとえば、恋人と会える時間も減り、会うためにおしゃれをする余裕もなくなり、仕事の愚痴に侵されて一緒に過ごす時間の質も下がっていったのかもしれない。もし自由に選んでいいなら、自分のプライベートにもっと時間と労力を割きたいのに、会社がそれを許さなかった。そうやって、自分の人生が会社に侵されていくことが、彼女の絶望感につながったとしても不思議ではない。

◆「働き方改革」に欠けていること

 ワークとライフのバランスを自分で決められることがプライバシーの権利なら、働き方改革は、これを無視してはならない。政府の大号令のもと、全社17時強制退社というのは、プライバシーの本質を完全に無視していると思う。

「会社にいなくてはいけない」雰囲気は間違っている。だけど、「会社にいちゃいけない」法律も、同じように間違っているのだ。極端な長時間労働から、極端な長時間労働嫌悪に流れるのではなくて、その間で、個人が自分に合った働き方を見つけられるようにならなければならない。長らく個人の自己決定権を無視して、長時間労働を強いてきた日本社会の問題の本質に、今、向き合わなければならない。人と違った人生を歩む権利を尊重する――これを、少しずつ社会の中に根付かせていかなければならない。

 自分で選んだ結果、みんなが今よりも早く帰って、家庭で多くの時間を過ごすようになれば、それはいいことだ思う。大事なことは、個人が納得して自分で選んだということだ。なんとなくみんなが残っているから残業するわけではない、政府が号令をかけるから早く帰るわけでもない。誰かに決められるのではなく、自分の人生を自分で選び取るプライバシーの観点を、働き方改革から抜かしてはならない。

<文/山口真由>

1983年、札幌市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験、国家公務員Ⅰ種に合格。全科目「優」の成績で2006年に首席卒業。財務省勤務を経て、弁護士として活動したのち、2015年夏からハーバード大学ロースクールに留学。2016年に卒業し、帰国。ハーバードで学んだことを綴った最新刊『ハーバードで喝采された日本の「強み」』(扶桑社)が発売中。

ハーバー・ビジネス・オンライン