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源頼朝が草を敷いたので「草敷」、馬をつないだ松は「勇後の松」

3/30(木) 8:00配信

BEST TIMES

全国6位の人口を抱える千葉県の奥深い歴史。「地名の由来」シリーズでおなじみ谷川彰英氏の最新刊、『千葉 地名の由来を歩く』から源頼朝伝説の地をたどる。

(5)草敷の勇後の松跡  木更津市

 その百坂の北側に「三百騎坂」があるらしいことはわかったが、手掛かりが得られず断念。次に目指したのが「千騎坂」。だが、これも難しく、その近くにある「草敷」というところにある「勇後の松」の碑を探すことにした。富津市からすでに木更津市に入っている。手掛かりは笹生氏の本の次の一節のみ。
「草敷──勇後の松ここで頼朝は、大きな松の木に馬を繋ぎ、休息をとった。土地の人が大勢出て草を刈り、敷いて座らせたことから、ここを草敷と呼ぶようになったという。後に馬を繋いだ松は勇後の松と呼ばれるようになった。松は嘉永年間に枯死してしまったが、株跡の傍らに由緒を記した碑が建てられている。(中略)勇後の松跡は草敷の台地上にあり、そこからは草敷地区が一望できる。行軍の休憩地としては理にかなった場所である」

 房総の山地は意外なほど広く深い。台地らしき場所を探したが、どうしても見つからない。半ば諦めかけた時、同行していた妻のアドバイスで近くにある板東札所めぐり30番の高蔵寺(高倉観音)で訊いてみることにした。そこでご住職から、その昔頼朝を助けた安西さん(名前からして安西氏の子孫であろう)の家があるので訊いてみたらいい、というアドバイスをいただいた。
 その通りだった。安西一族の「長男」だという安西さんの家の前にそびえる小高い山の上にその碑があるという。そこからは、確かに草敷の集落が一望できた。正式な名前は「草勇後松跡碑記」であり、安政6年(1859)の建立となっている。

 

文/谷川 彰英

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