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義経伝説のエンディングは 「衣川の戦い」で分岐する

3/30(木) 12:00配信

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長い逃避行を終え、奥州平泉の高館で非業の最期を遂げた義経。しかし、東北から北海道に至る各地には、死んだはずの義経が立ち寄ったという伝説が数多く残っている。時に英雄として、時に悪人として、時に女性を惑わす色男として、様々に残る「北行伝説」の実像に迫る! 

衣川で生き延びたルートが北方伝説に繋がっていく

 義経の末路に関する伝説は大きく二つに分けられる。一つは、衣川での死亡を前提として発展したもので、『義経記』はその代表といえよう。奥州衣川、高館合戦におけるその死にざまは、大衆の涙を誘うよう執拗に美化された。そこには弁慶の立往生などもえがかれる。
 能「八島」では、死してなお成仏することなく修羅のちまたの戦さ場を駆けめぐる。『太平記』では、壇ノ浦に沈んだ宝剣を奪い取るべく、大森盛長の眼前に楠木正成ともども義経も亡霊となってあらわれる。また、地獄に堕ちた義経が古今の武将をあまた従え閻魔庁に押し入る『義経地獄破り』、さらには腰越浦での首実検の折に口中より発見された恨みの「含状」なども加えられよう。

 そして末路伝説のいま一つの流れが、衣川に死せず生き延びたとするいわゆる「生脱説」である。平泉を脱出した義経が弁慶はじめおなじみの忠臣はじめ妻子ともども、果ては藤原秀衡の三男和泉三郎忠衡まで引き連れて蝦夷ヶ島に渡り、土民を平らげ大王になったとか、その先は大陸にわたって後に義経の子が韃靼・金国の大将軍になったとか、末裔を清朝の祖とするもの、極めつけの成吉思汗すなわち義経まで諸説がある。
 いきつく先(エンディング)は異なるものの、生脱と蝦夷ヶ島への渡海ということで共通しているのも注目すべき特徴だ。本州では平泉以北の特に太平洋沿岸に、そして北海道、千島、果ては大陸に到るまで義経に関連する伝説や地名などが多数分布するといい、それらは義経の「北行伝説」と総称されている。

文/千葉 信胤

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