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仲睦まじい武士夫婦の正体は?

3/31(金) 12:00配信

BEST TIMES

『江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 賄方(まかないかた)は、江戸城の台所の管理をする役人である。
 御家人の山崎孫大夫は賄方の役人で、谷中三崎に屋敷があった。山崎家の家禄は四十俵二人扶持に過ぎなかったが、親の代からあちこちに高利で金を貸し付け、利益を得ていた。孫大夫の代になってからはさらに手広く高利貸しをおこない、金をためこんでいた。

 金がたまるにつれ、孫大夫はますます金に執着するようになった。
 賄方の役所に行くときは大きな弁当箱を持参し、そこに飯を詰め込んで帰宅した。その飯を夫婦で食べた。貸した金の催促に行くときは飯時を狙い、先方でごちそうになった。屋敷では暗くなるとすぐに寝て、ほとんど行灯をともすこともなかった。

 孫大夫夫婦には子供がなかった。親類の御家人が死ぬと、その子供を引き取って家督相続させたが、実際には家禄を巻きあげたも同然だった。その子供が死んだあとも、死亡届けを出さず、家禄をそのまま受け取っていた。

 貸した金が期日までに返済されないと、孫大夫は手槍、女房は鎌を持って先方に押しかけ、「金を返せ、金を返せ」と叫びながら、ふたりで手槍と鎌を振り回す始末である。先方でも無理をして、利息を添えて返済した。

 悪い評判が広まり、ついに、親類の子供が死んだのに届けを出さず、七年間も家禄を横領していたことが明るみに出た。文化十一年(1814)十月、夫婦は町奉行所に召し取られた。

 夫婦の詮議をおこなったのは、南町奉行の根岸肥前守鎮衛である。白州に引き据えられたとき、女房は半狂乱で、興奮のあまり頭頂部からたらたらと鮮血が垂れたという。この女房は三人目だったが、ともに節約をしてひたすら金をためるのが楽しみだったため、夫婦仲はむつまじかったという。
 判決が下る前に、夫婦とも牢死した。

 孫大夫の屋敷を調べたところ、土蔵に千六百十七両、貸付証文三十八通(計二千八百両)があった。箪笥は二十六もあり、なかには刀、鼈甲、銀煙管、着物、唐物など借金のカタに取りあげたものがびっしり詰まっていた。

 『我衣』に拠ったが、山崎孫大夫と妻の仲がむつまじかったというのが面白い。「金をためる」という共通目標を持っていたからだろうか。いわば、似た者同士の夫婦だったのであろう。
 それにしても、夫婦の性生活はどうだったのだろうか。気になるところである。
 孫大夫は無駄使いはしないから、女郎買いとも無縁だったであろう。いわば女房一筋である。意外とこまやかな愛情に満ちた性生活だったかもしれない。男と女の不思議であろう。

文/永井 義男

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