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世界渡り歩いたタイの歴史的名手が明かす、日本サッカーが強くなった理由

3/31(金) 20:27配信

THE ANSWER

日本、ドイツ、米国でも活躍したタイの名手、ヴィタヤ・ラオハクル

「日本が強くなったのは、世界に追いつくためには何が必要かを先に気づき、実行に移したからさ」――ヴィタヤ・ラオハクル~タイ代表について

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 ヴィタヤ・ラオハクルは、タイを代表する歴史的な名手である。マレーシアで開催されたムルデカトーナメントの日本代表戦で2ゴールを決め、当時のヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)に移籍。さらにタイ代表としての国際試合で評価されて、ヘルタ・ベルリンへと移籍してブンデスリーガでも活躍した。引退後は指導者に転身し、タイや米国でキャリアを重ね、日本でもガイナーレ鳥取の監督を務めた経験を持つ。インタビューは8年前になるが、ヴィタヤは関西弁で流暢に答えてくれた。

「タイ代表に選ばれたのは18歳。タイではサッカーが一番人気のある競技なので、いつも新聞の一面で扱われ、女の子がボクのユニフォームを欲しがったり、食事に誘って来たりで大変だった」

 23歳で来日したヴィタヤは、ヤンマーの高いテクニックを駆使してスピーディーなプレーで釜本邦茂らと連携した。

「当時はまだテクニックや状況判断では、日本よりタイの方が上だった。でも日本の方がフィジカルが強くて、練習メニューも豊富だった」

 欧州でプレーをした最初のタイ人選手で、厳しい洗礼も経験した。

「ヘルタに合流して最初の体力テストで最低ラインをクリアできなかった。チームメイトが僕の方に唾を吐いて“さっさと奥さんにでも代われ”と言われたよ」

 こんな状況に耐えられるタイ人は、ほとんどいないと言う。

「かつてタイ代表をデットマール・クラマーさんが指導したけれど、怒って1週間で帰ってしまった。練習態度があまりに怠惰で、心拍数を1分間で150くらいまで上げるように言っても、せいぜい90くらいまでしか上げない。クラマーさんが“帰れ!”と言うと、本当に帰ってしまった」

日本とタイに共通する課題「ベンチの指示を仰ぐ暇があったら挑戦すればいい」

 タイの選手たちはテクニックには優れている。しかし代表が強くならないのは、このメンタリティに問題があるからだと指摘していた。ドイツの選手たちに冒涜されたヴィタヤは、反骨精神を見せて自分の価値を証明した。しかしそれから欧州へ渡ったタイの選手たちは、厳しい環境に耐えきれずに次々に帰って来たのだという。

「タイ代表も時々強い国に勝つ。でもトーナメントでは勝てない。宝くじもそうだろう? いくら買ってもなかなか当たらない。継続性がないんだ」

 日本も1984年ロサンゼルス五輪最終予選では、初戦でタイに2-5で完敗し、出場権を獲得できなかった。だがその後プロ化とともに、両国の差は逆転し、広がっていった。

 ただし指導者に転身してみて、それでもアジア民族と欧米の違いは感じている。

「米国の選手たちは、何かあればすぐに聞いてくる。ミスをするのが選手の特権だと考えている。だから伸びるのも早い。日本や東南アジアの選手たちも、疑問があるのに黙って放っておくのはやめて欲しい。でも彼らは、試合中でもベンチの指示を仰ぐよね。そんな暇があったら、教えられていなくても、挑戦してみればいいんだ。失敗したら、また次の挑戦だよ」

 28日に行われたタイ戦の日本代表のパフォーマンスは、決して誉められた内容ではなかったが、しっかりと結果は手にした。確かにそれが両国の現状を示しているのかもしれない。だが世界を渡り歩いたヴィタヤの眼には、共通の課題も映っていた。

◇加部究(かべ・きわむ)

 1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

加部究●文 text by Kiwamu Kabe

最終更新:3/31(金) 20:27
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