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レジェンドの軌跡 THE LEGEND STORY――第19回・カントナ(元フランス代表)

4/6(木) 16:00配信

SOCCER DIGEST Web

歴史に残る問題児にして、遊び心十分の稀代のエンターテイナー。

 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、極上のテクニックで多くの勝利をチームにもたらし、またチームメイトに多大な影響を与えた一方で、その気性の荒さによって多くのトラブルを引き起こしたことでも歴史に名を残す天才、エリック・カントナだ。
 
 何をも怖れず、何にも束縛されることなく、最後まで自分らしさを保ち続けて、突然、ピッチを去って行ったフランスの偉大なエンターテイナーの軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
――◇――◇――
 
 エリック・ダニエル・ピエール・カントナは1966年5月24日、フランス最大の港町、マルセイユに生を受けた。
 
 多分に漏れず、ストリートでサッカーの楽しさを知った少年は、後にカイジョワという地元クラブに入団。当初はGKとしてもプレーしたが、その足技は当時からすでにイマジネーションに満ちており、間もなくフィールドプレーヤーとしてゴールを量産していった。
 
 その後、オセールに入団したカントナは、17歳の時にトップリーグでデビューを飾る。83年11月5日のナンシー戦で、結果は4-0の大勝だった。
 
 1シーズン目は2試合の出場に終わり、84年は兵役のために一時的にサッカーから離脱。復帰した後、85-86シーズンの途中から2部のマルティーグにレンタル移籍し、15試合に出場した。
 
 86-87シーズンにオセールに戻ると、主力として定着し、同シーズンはキャリアハイの36試合出場13得点を記録。翌シーズンも30試合以上に出場した他、欧州の舞台(UEFAカップ)でもゴールを挙げるなど、ステップアップを遂げていった。
 
 すでにフランス代表入りも果たしていた彼を、故郷のクラブ、マルセイユが見初めて、88年夏に獲得を発表。カントナにとっては、子どもの頃の憧れのクラブに入団するという、夢の実現でもあった。
 
 しかし、この頃にはたびたび癇癪を起して数々のトラブルを起こしていた問題児は、マルセイユでも交代をめぐって監督と対立し、ボールをスタンドに蹴り上げたり、インタビューで監督を批判したりしてペナルティーを科せられるなど、波乱に満ちた日々を過ごすこととなった。
 
 89年にボルドー、モンペリエと連続してレンタルに出された彼は、ここでもチームメイトに暴力を振るうなどの問題を起こしたが、一方でピッチ上では多くのチャンスを味方に提供。モンペリエには2部リーグ優勝というタイトルをもたらした。
 
 90-91シーズンには、当時、栄華を誇っていたイタリアのミランに唯一対抗できる存在といわれていたマルセイユに復帰。当時、チームメイトだったドラガン・ストイコビッチは、「自分のキャリアのなかで一番、一緒にプレーがしやすかった選手のひとり」と、カントナのことを振り返っている。
 
 190センチに達しようかという長身と頑強な身体を持ちながら、カントナのプレーは非常に柔らかく、そして相手を嘲笑うかのような遊び心に富んでいた。また、味方を利用するのも上手く、視野の広さや状況判断の良さから、多くのアシストを記録していった。
 
 しかし、この故郷のビッグクラブは彼にとって永住の地とはならず、監督との対立などもあって、翌シーズンには1部に昇格したばかりのニームに新天地を求める。そしてここで、フランス・サッカー界を騒然とさせる事件を起こしてしまった。
 
 91年12月、サンテティエンヌ戦で主審が相手にFKを与えたことに激怒したカントナは、ボールを主審の顔に向けて投げ付けた。さらにその後、聴聞会に召喚されたのだが、ここで委員に対して暴言を吐いたのだ。
 
 これで、フランス国内でのキャリア継続の道は断たれたカントナ。一時は現役引退を発表したが、当時の代表監督でフランスのレジェンドであるミシェル・プラティニがカントナの才能を惜しみ、国外でのプレーを進言したことにより、カントナのキャリアは第二章に突入していく。

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最終更新:4/6(木) 16:07
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