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東日本大震災、雄勝病院の悲劇から6年~そして慰霊碑は残った~【後編】

4/16(日) 6:00配信

オトナンサー

 石巻市立雄勝病院の建物は東日本大震災後、しばらく残されていました。震災から1年目の「3・11」には、患者や職員の家族、病院の元職員らが集まり、病院の中庭でささやかな慰霊式が行われ、2年目の慰霊の日が済んだ後、病院は取り壊されました。

【写真】今年の「3・11」の様子

慰霊碑が木で作られている理由

 このままでは、患者や職員の遺族が手を合わせるところがなくなってしまう――。震災当日、石巻市議会へ出向いて無事だった病院の事務長は、手作りで木製の慰霊碑を建てることを計画しました。素材に木を選んだのは、病院の跡地が今後どのように使われるかが決まっていなかったこともあり、いつでも移動できるようにするためです。

 ボランティアスタッフとして、八ヶ岳から雄勝に通っていた造園業者が慰霊碑周辺に花壇を作ってくれました。線香台には、風よけのために地元特産の雄勝石をかぶせました。何より患者を死なせてしまった病院としての負い目と、あの日、その場にいられなかった職員の自責の念が二重三重にのしかかり、目立つような慰霊碑を建てることは許されなかったのです。

 2013年8月4日、慰霊碑は完成しました。作業着に軍手姿で汗だくになった事務長や職員たちの表情は、ほっとしたように見えました。

事務長は、診療所に残った

 事務長は震災後、病院の代わりに建てられた雄勝診療所の事務長として働いていました。めったに笑わず、ぶっきらぼうな態度ですが、震災後は64人の犠牲者の家族を回って支えとなり、その後も病院職員の心のよりどころとして腐心してきました。震災当日、病院にいられなかったという負い目と苦悩を抱えながらも、黙々と堪えてきたのです。

 その事務長は、慰霊碑のそうじから花壇の手入れまで、看護師たちと担ってきました。いつ誰が慰霊碑を訪ねてきても手を合わせられるように、プラスチック製の道具箱に置かれた線香とライターを切らしたことはありません。この間、町内の復興住宅の建設工事で排出される残土の置き場が病院跡地にできるなど、2度にわたって慰霊碑の場所を移動してきました。

 事務長は2年前に定年を迎えました。病院跡地は当時、市の復興計画で鎮魂の森として再開発されることが決まっていましたが、この慰霊碑の扱いについては方針が示されていませんでした。そこで事務長は再任用を申し出て、嘱託として診療所に残る決意をしました。慰霊碑を守らねばならないと考えたからです。そして2015年暮れ。鎮魂の森に慰霊碑がそのままの姿で残されることが決まりました。

「自分の役目は、これで終わった」。そう思った事務長は再任用の期間を残して、病院を離れました。

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最終更新:4/16(日) 6:00
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