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闘莉王が規格外の得点力を誇る理由 “攻撃的DF”生んだ「バレーボール」と「自立心」

4/22(土) 9:25配信

THE ANSWER

闘莉王の才能を開花させた宗像監督との出会い「中盤でやるとみんな『首が痛い』と言うから…」

「日本へ来ていきなりボランチをやらせると、みんな『首が痛い』って言う。だから闘莉王も、全体を見渡せるセンターバックから始めさせたんです」――宗像マルコス望(渋谷幕張高校監督)

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 元日本代表DFの田中マルクス闘莉王(京都サンガFC)が、4月15日に行われたJ2第8節の愛媛FC戦でJリーグ通算3度目のハットトリックを達成し、チームを3-2の勝利に導いた。身長185センチとサイズに恵まれたこともあり、これまでも状況に応じて前線でプレーすることはあったが、さすがにこれだけ攻撃面でも機能するセンターバックは珍しい。

 ただし闘莉王の足跡を辿れば、オールラウンドな能力が育つ土壌が見て取れる。ブラジルで育った日系3世の闘莉王は、小さい頃から「サッカーとバレーボールに明け暮れた」という。むしろ渋谷幕張高校に留学する前は、「サッカーに興味を失いかけて、バレーボールに傾いていた」そうである。

 そして、そんな闘莉王を日本に連れて来た渋谷幕張高校の宗像マルコス望監督は、ブラジル時代に主戦場としていたボランチではなく、まずはセンターバックでプレーさせている。

「これは冗談ではなく、ブラジルから来た留学生を中盤でプレーさせると、みんな『首が痛い』と言い出すんです。日本は展開が早くて、頭の上をボールが飛び交う。だから最初は、全体を見渡せる後ろでプレーさせることにしたんです」

バレーボールで磨かれた空中戦の強さと空間察知能力

 一方で宗像監督は、すでに闘莉王がセンターバックとして日の丸をつける未来を予測していた。

「日本には中盤から前にはタレントがたくさんいますが、このポジションは手薄ですからね」

 しばらくして日本のサッカーに慣れてきた闘莉王はボランチに復帰し、全国高校サッカー選手権千葉県予選の決勝では、自らチームを本大会出場への道を切り拓くゴールを決めている。一方で高校卒業後にサンフレッチェ広島に入団すると、すぐにセンターバックでプレーするようになるが、いきなりデビュー戦となった鹿島アントラーズとの開幕戦でゴールを決める勝負強さを発揮した。

 日本のサッカー界にはアスリートが少ない。確かにサッカーは、幼少期からのテクニックの修得が重要になるが、あまりに他の競技と両立させる環境に乏しい。その点、闘莉王は中学時代までサッカーだけでなく、同時にバレーボールも楽しんできた。空中戦の強さ、ジャンプするタイミングやバランス、それに空間察知能力などは、バレーで培われた可能性がある。さらにボランチとしてプレーすることで中盤でゲームを読む能力が養われ、十代で未知の国に渡って生活したことにより、プロとして生き抜くための自立心が備わった。

「一人で日本にやって来て、何もかも一人でやるしかなかった。一人で未来を切り拓かなくてはならないから、親にも頼らず、いつも真剣に物事に取り組むようになった。もしブラジルでプロになっていたら、適当なところで手を抜いていたかもしれません。僕は日本に来て大人になるスピードが早まった。日本が僕を一人前にしてくれたんです」

 それがプロとして、長く活躍できる最大の理由かもしれない。

(文中敬称略)

◇加部究(かべ・きわむ)

 1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

加部究●文 text by Kiwamu Kabe

最終更新:4/22(土) 10:22
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