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勇猛果敢な旅順攻略で一気に評価を上げた乃木希典

4/26(水) 12:00配信

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日清戦争を終わらせた2大決戦「鴨緑江・旅順口の戦い」と「威海衛の戦い」の真相に、連載形式で迫る。 

攻略に半年を要するといわれた清軍の旅順要塞も集中砲火と奇襲攻撃で占領



 明治27年(1894)11月6日午前6時、第1軍が総攻撃を開始。乃木希典少将の旅団は先陣を切り、あえて防備の厚い東門へ攻撃をしかけた。双方の砲撃が続くなか、爆破専門の工兵が城門に忍び寄り、爆破した。城門が破られると清国軍の将兵は我先にと逃げだし、昼前には白旗があがった。
 この攻城戦で勇猛果敢な乃木の評価が一気に高まった。山地師団長は乃木に大連湾の砲台を落とすように命じた。乃木旅団が大連湾に進軍すると、砲台はあったものの清国兵の姿はない。辺りには寒村しかなく、地元の中国人は川の名にちなんで青泥窪と呼んでいた。

 いよいよ旅順攻略戦である。旅順要塞は清国が「10万の軍隊に攻められても半年は持ちこたえる」と豪語するほど堅牢な要塞だった。海と山に向けてそれぞれ半永久砲台、補助砲台がいくつも据えられ、直射撃のカノン砲、山砲など百門ほどが睨みをきかせている。守備隊は約1万2千人。対する第2軍は1万5千人だが、要塞攻略には敵軍を大きく上回る兵力が必要だと言われている。日本軍の苦戦は必至とみられた。
 しかし、実際には守備隊の約9千人は新徴募兵であり、残りの3千人ほどは敗残兵だった。

 散発的な戦闘のあと、第2軍は11月21日早朝から旅順への総攻撃に踏みきった。主力は第1師団の第2旅団と第6師団の混成第12旅団である。乃木率いる第1旅団は第15連隊の主力が錦州城の警備にあたっていたため、第1連隊と第15連隊第3大隊が参加した。
 砲兵隊は案子山の砲台へ集中攻撃を加えた。敵の砲台も激しく応戦したが、歩兵が突撃して占領した。難攻不落とみられていた椅子山、松樹山、二龍山、東鶏冠山の砲台も日本軍の集中砲火、突撃という攻撃にあっけなく落ちた。

 総攻撃の最中、錦州が攻撃を受けているとの報が入った。李鴻章から命を受けた宗慶の軍が南下し、手薄な日本軍守備隊(乃木旅団の一部)を急襲したのである。しかも旅順から敗走した将兵は錦州をめざした。乃木は態勢を整え、翌22日、救援へ向かった。
 旅順はその日に陥落。東洋一と謳われた要塞を攻略したことで、列強は日本軍の強さは本物であると認識、同時に警戒心を強める。
 乃木旅団は24日、孤軍奮闘していた錦州の守備隊と合流、清国軍を蹴散らした。
 一方、満州に進出した第1軍は山県有朋司令官の独断専行で12月12日、海城を占領した。だが、この作戦に反対していた大本営は山県を本国へ召還した。

◎次回は5月3日(水)に配信予定です。

文/松田 十刻

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