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【黄金世代・復刻版】1999 U-20日本代表メモリアル「最強の名のもとに」中編

4/26(水) 17:00配信

SOCCER DIGEST Web

見えないチームコンセプト。やがて選手たちは指揮官に──。

【週刊サッカーダイジェスト 1999年5月19日号にて掲載。以下、加筆・修正】

 のんびりとしたムードを漂わせながら、基本練習を主体としたトレーニングは、SBSカップを全勝で制した後も継続して繰り返された。

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 97年の11月、新装間もないJヴィレッジで、チームは過去最多23名の候補者を集めキャンプを消化する。
 
 中田浩二や加地亮、そして短髪となった小笠原など、所属する高校での活躍が認められた選手らが、初めて招集を受けていた。そんななか多くを望んでいた中田は、やや肩透かしを食らったようだった。
 
「たしかに溶け込みやすい雰囲気だし、学校(帝京)の練習だけでは受けられない刺激がここにはある。技術に関しては、みんな素晴らしいものを持っていますから。でもなんか、思っていたより覇気がないというか、単調な練習をただ繰り返しているという感じですね」
 
 初めてセッションに参加した彼でさえ物足りなさを感じている。ずっといる選手たちがなにも考えていない訳がない。
 
「そんなにアセる必要がどこにあるのかな? 結果よりも、能力を高めることが大事な年代。プランどおりに時間は進んでいる」
 
 清雲監督は豪語した。しかし、徐々に彼らは48歳の指揮官の言葉に耳を貸さなくなっていく。
 
 折りしも、ほとんどの選手の進路が続々と決定している時期だった。誰もがプロという未知の世界を心の片隅に意識しつつ、より高いモチベーションで臨んでいた。

 だがトレセンでやるような練習の反復、加えていつまで経っても確固たるチームコンセプトが提示されない。これまでになく不平不満をこぼす選手が多くなる。かといって真っ向から意見を述べる者はなく、惰性のままに時間を費やす。そのあたりはやはり、18歳と言うべきか。
 
 唯一、入団先が未定だった小野が、2日遅れで福島入りした。みんなに「ようやく浦和に決まったよ」と報告。肩をたたき合いながら談笑する輪のなかに、清雲監督の姿は見受けられなかった。

 傍目の楽観的な雰囲気とは、あまりに対照的な内情。その後エスカレートしていくことになる。
 

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最終更新:4/27(木) 4:42
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