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鍋をかぶった小さなデモ隊──マニラのスラムにて

4/27(木) 17:45配信

ニューズウィーク日本版

<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャで現場の声を聞き、今度はマニラを訪れた>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」
前回の記事:「子供、子供、子供――マニラのスラムにて」

大騒ぎの弾幕

同日(11月24日)、同じバランガイの奥の広場で『ノイズ・バラージュ』があった。大騒ぎの弾幕、という意味のパフォーマンスである。

もともと、スラムの別地区にあるリカーン(現地援助団体)の本部で俺は予定の書かれた白板にその『NOISE BARRAGE』という文字がくっきり記されてあるのに興味を持っていたし、是非見に行きたいとプロジェクト・コーディネーターのホープ・バシアオ-アベッラに頼んでいたから、その日の取材自体の最大の眼目がその行動だったはずだ。

2回目の啓蒙活動を終えた通称リナ、そしてジュニーたちは並んでいたプラスチック椅子を素早く、バランガイの女性たちとともに片づけた。開いた空間にたくさんの子供たちが流れ込み、コンクリートの上で遊び出した。男の子も女の子も一緒で年齢も様々だった。走ったり蹴りあったり、中には女の子の髪の毛を引っ張る男の子もいて、回りのバラックから飛び出してきたすぐ母親にこっぴどく叱られたりもした。

重ねて言うけれど、俺の子供時代、昭和三十年代の東京の雰囲気がそこにはあった。当時、どこの路地にも子供がいて遊んでいた。逆に考えれば、今の日本にいかに子供がいないかだ、と俺は痛感した。ベビーカーを嫌がったり、車内の子供の泣き声に顔をしかめたりする大人が多くなってしまったのは、そもそも子供の存在に慣れている日常を失ったからなのだと俺は思った。

しばしバランガイの子供たちを見ているうち、がらんとした広場に不思議な女性があらわれるのに気づいた。頭に鍋をかぶっている。年齢は三十代半ばくらいだろうか。

ジュニーがその女性に親しげに声をかけるのを見て、俺はそれが『ノイズ・バラージュ』の参加者だとわかった。彼女の他にもやはり女性がぶらぶらと集まり、手に手に鍋やらしゃもじやらフタやらを持っていた。中には白髪の六十代ほどの女性もいた。

集まる集まる

参加者が三十人ほどに膨れ上がると、メッセージの書かれた黄色い紙を何枚か持つ人もあらわれた。タガログ語がアルファベットで書かれていたり、英語で「ファミリープラニングをしましょう!」とあったりした。みながやがやと明るくしゃべりあっている。

やがてリナが拡声器を持って、彼女たちの前に立った。そしておそらく上記のメッセージをタガログ語で呼びかけた。すると女性たちは最初は恥ずかしげに、しかし次第に熱を帯びた調子で鍋をしゃもじで叩き、フタ同士をぶつけてノイズを出し、同時にリナに唱和して「ファミリープラニングをしましょう!」という意味だろうスローガンを叫び続けた。

誰に向かってというのでもない。だから反対に、おそらくは国会に出かけてとか省庁前でいうこともあるのだろう。まるで予行演習だとも思いながら、しかしその誰に向かってとも言えないデモンストレーションが、人口の密集したバランガイの中の男たちに向けられているのもよくわかったし、自らの意識を高めているのも実感出来た。

デモへの距離が近い、というのだろうか。彼らフィリピン人はかつて民衆の力でマルコス政権を倒した過去を持っており、それがひとつの習慣のようである事実を俺は見たわけだった。それが現在強権をふるっているドゥテルテ政権下でも行われているのは、見習うべき勇気ある行動だった(このフィリピン人の勇気に関しては、翌日市内で大きなデモと集会があるから、そのリポートの中で書こう)。

ともかく、『ノイズ・バラージュ』を続行している女性たちは明るかった。感動して思わずスマホの動画で様子を撮り歩く俺に対して、彼女たらは手を振って笑いかけたり、照れて笑ったり、とにかく笑い声が絶えなかった。動画の中で、俺も思わず笑っている。

また驚いたのは、いつも無口でにこやかなジュニーが大声で唱和し、時には女性たちをリードしていることだった。足でコンクリートを踏み、リズムを取っていたりする。彼もまた明るい活動家であり、人は声を上げて主張すべきだと確信しているのだった。

そういう小さな、しかし足腰のしっかりした社会運動がそこにはあった。スラムはちっともよくならないとも聞いたが、それでも言いたいことは言う。それがマニラっ子たちの心意気というものなのだろうと俺は感じ入った。

Tシャツをマントにする子(前回話を聞いたイメリン・L・セルナさんの長男)
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別のクリニックへ

再びクリニックへ行って、メアリー・ルース・ロクサスさんという若いMSFの女性医師にあれこれうかがったが、他と重複するので翌日に移る。

俺たちは早朝からロセルと一緒にダイニングルームでパンをかじった。空き部屋がひとつあるのでそこに泊まることにしたのだった。そうすれば市外の少し遠くに住んでいるロセルにも出勤がつらくないからだ。マニラの渋滞は他のアジア都市に比べても凄まじいのだ。

ピックアップトラックが建物の下に迎えに来ていたので、俺と広報の谷口さんとロセルでまずMSFフィリピン(国境なき医師団)のオフィスへ行った。途中、日本の首相が任期延長だというニュースをネットで知り、なんとなくそのことを話しているとロセルはひとこと「マルコス!」と言った。

オフィスでしばし待ったあと、ジェームスとジュニーに連れられて、俺たち三人はサン・アンドレスというスラム地区に移動した。雨がしとしと降っていて、マニラは少し肌寒かった。暗い空の反映か、車で到着した場所はあれこれ店などがあるもののなんだか人も音も少なめで寂しかった。今から考えてみれば、前日のように子供が走り回っていなかった。太い道路が走っているから、バランガイの奥の広場のように安全ではないのだ。

道の両側の建物も、あちこち壊れ、折れた木材が突き出していたり、穴があいたままになっていたりで、そこに雨が吹き込み、雨が滴っていた。「貧民街」という言葉が自然に頭の中に浮かんできたのを覚えている。

その中に小さな入り口があり、俺たちは薄暗い室内に入った。リカーンとMSFがリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関わる健康)のもうひとつの拠点にしているクリニックがそこなのだった。中で待っていてくれたのはエマという、いかにも隣のおばさんといった感じのコミュニティ・ヘルス・モビライザー(地域保険推進員、つまり住民との架け橋だ)で、彼女に示されて奥の部屋に入ると、もうそこはほとんど民家だった。

透明ビニールが掛かった大きめのテーブル、ばらばらの椅子、古いクッション、壁にはポスターや予定表が隙間なく貼られ、冷蔵庫がブーンと鳴っていて、もう一人の女性スタッフがにこやかに水を出してきてくれる。

さらに奥に相談室があり、処置室があるのはあとでわかったことだ。若者が妊娠のことなどで悩めばそこに来る。避妊のための器具もそこで与えられる。医師がどんな人かは会えずじまいでわからなかったが、エマたちを見ている限り、来訪者は遠い親戚に秘密を打ち明けるような気分になるのではないか。

白板には月に一度のアウトリーチの予定も書かれていた。サン・アンドレスに来られない若者のために、幾つかの地域を順に回っているのらしかった。おばさんたちのこまやかな、そして決して肩ひじ張らずに見える(実態はそんなはずなかろう。予算の問題もある。救えなかった相手もある。討論好きは彼らの性分でもある)活動の一端がそこにもあった。

ジュニーは途中で俺にこう言った。

「ただし色んなバランガイに行っても屋外だから天候に左右される。だからここが必要なんだ。いつでも誰でも来られる」

エマおばさんの話では、そこでは相談とか治療とかだけでなく、例えば俺たちの目の前にある大きなテーブルをどかして、スタッフのトレーニングやら若者への講義やらを行ったりもするそうで、つまり医療の付いた公民館みたいな役割を、いかにもリカーンらしく担っているのだった。

またエマはユーチューブも見せてくれた。カップルが恋愛について話しあう映像で、そうした今風のメディアを教材にして若者をひきつけ、理解を求めるよう努力しているとのことだった。特に彼女たちコミュニティ・ヘルス・モビライザーは13~19歳という思春期の男女に向けて力を入れて活動しているという話も聞いた。多感な季節に避妊に疎いのは、日本とて同じだ。



やがてジェームスがエマたちに細かい質問を始めた。

インプラントと他の避妊具との使用率のデータはあるかい?

インプラントを望む女性はなぜそれを選ぶんだろう?

現在インプラントを使用している女性がすでに平均何人の子供を持っているかデータはある?

その度にエマたちは資料をひっくり返したり、コンピュータにアクセスしたり、時には残念そうに首を横に振ったりした。

ジェームスは温厚な調子でこう言った。

「フィードバックはとっても重要だと思うんだ。僕もみんなもお互いに色んなデータを知っていた方がいいし、それはバランガイの人たちにも知らせた方がいい」

彼は本当にクレバーな人間で、短い表現でずばりと活動のあるべき方向を示すのだ。

「我々はその上で選択肢を並べてみせることしか出来ないんだと思うよ。なんにせよ強制は絶対によくないことだから」

そう言ってからジェームスは座ったまま巨体をわずかにこちらへよじり、眼鏡越しのくりくりした目を俺の胸あたりに向けて言った。

「この場所に関してはインフラ重視ではなく、どこにでも出かけていけるモバイルクリニックを厚くしているんだ。で、もう一人医師を補充出来れば子宮頸癌のプロジェクトにも着手出来る」

ジュニーが横で大きくうなずいた。 

雨音

ジェームスたちがエマからさらに具体的な医療に関する聞き取りを始めたので、俺はよくわからなくなって入り口近くの受付あたりにふらっと戻った。外から強い雨音がした。ドアは半分以上開け放たれていた。プラスチック椅子に若い女性患者が二人来ていて、ともに赤ん坊を抱いていた。電気はつけられておらず、空気は湿気っていた。

やがて受付の女性が小さく鼻歌を歌い出した。それが雨の音と重なると自分の気持ちまで湿ってくるように感じた。バイクが行き過ぎる音がした。鶏が鳴いた。鼻歌はまだ続いている。

五十五歳の俺は暗がりに立ち、自分が子供であるように今度は肌全体で実感していた。雨の日にいじけた気持ちになって一人で部屋で留守番していた思い出が、ほとんど思い出でなくその時間そのものとなってなぜか異国で俺を包んでいるのだった。

俺はもう俺ではなく、いや逆に本当の俺は子供で見知らぬスラムにおり、それが想像上の豊かな国に住む中年の俺を一瞬夢見ているようにも思った。暗がりと雨と女性の鼻歌と赤ん坊の匂いがそうさせていた。

雨は続いた。

<続く>

いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

いとうせいこう

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