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「拾われた男」松尾諭 #1「自販機の足元で航空券を拾った日」

4/30(日) 17:00配信

文春オンライン



 兵庫県尼崎市の中の下、もしくは下の上あたりの家庭で生まれ育った少年の将来の夢はタクシー運転手でした。自由に車を流して客を拾い、楽しげに世間話をしながら目的地まで送り、会計の際には数千円の大金をせしめて、札束がごっそりと詰まった手提金庫にその金を納める。

 そしてまた自由気ままに街を流し、気分が乗らなきゃ乗車拒否をし、眠たくなれば車を停めて眠り、腹が減れば買い食いをし、好きな時に休憩して煙草を吸う。この世界にこれほど素晴らしい仕事は他にない、と本気で考えていたが、友人から現実を教えられ、またひとつ大人になったはいいが将来の展望がないまま迎えた17歳の秋。高校の文化鑑賞行事として観た演劇が転機だった。生まれて初めて観る生の芝居は素直に面白かった。ただし内容は憶えていない。だがカーテンコールで全校生徒からのスタンディングオベーションを浴びる役者たちの、輝かんばかりの笑顔を見た時の衝撃は今でも忘れない。まさにビビッと来た、と言うやつ。

「俺もあれやりたい」

 とは言うもののどうすれば良いかも分からず、どこで聞いたか役者は食えない仕事と言う予備知識だけはあったので、大学だけは出といた方が潰しが利くだろうと、一浪した後、大学に入学、したは良いものの遊びすぎなどの諸事情により、三年間の総取得単位は18と、足りない頭と家計をいくら捻っても、卒業まで費やす時間と学費が馬鹿にならないことに気づき中退。

 そして充実したフリーター・ライフを満喫。これでいいのかと思いはじめた23歳の秋、とある食事会、つまり合コンに来ていた年上のお姉様が、関西を代表する劇団の事務をしているとの事で、恥ずかしくてあまり人に打ち明けたこともなかったけど、アルコールと下心も手伝ってか、初対面のお姉様に役者になるにはどうすればいいか相談すると、東京に行け、と即答。

「大阪でやっても絶対に芽が出ない、そして東京にはチャンスが転がっている」

 恐らく僕の人生で初めて出会った業界人の言葉は説得力があり、2000年の1月に上京した。

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最終更新:5/29(月) 17:12
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