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星野源は、“普通の化物”だーー様々な経験がもたらした表現者としての武器

5/4(木) 7:00配信

リアルサウンド

 テレビを見ていたら意外なところで「恋ダンス」に出くわした。先日、NHKのEテレで3月に催された俳優祭が放送された。歌舞伎や新派の役者が舞台出演だけでなく、模擬店で売り子にもなるファン・サービスのイベントだ。かぐや姫を題材にしてギャグを散りばめた新作歌舞伎も上演され、その場面がやってきた。古典芸能らしく着物で白塗りの化粧で花道に立った中村勘九郎は、三味線や太鼓の音楽が「恋」に変化すると、MIKIKOによるあの振り付けと歌舞伎の所作が混じった絶妙な踊りを披露した後、六法を踏んで退場した。大うけである。

 ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌だった星野源「恋」は、このドラマの最後に流れ、出演者たちのダンスが披露されたことでブームになった。多くの人が「恋ダンス」をしたしパロディも珍しくない。だが、中村勘九郎が踊ったことには、特別な意味を読みとりたくなってしまう。

 ミュージシャン兼俳優で文筆家でもある星野は先ごろ、最新エッセイ集『いのちの車窓から』を出版した。同書には、現在の勘九郎の父である勘三郎がまだ勘九郎を名乗っていた2003年の舞台『ニンゲン御破算』に星野も出演したことが記されている。2012年に病死した勘三郎への敬意と憧れをこめて、星野は同年末に「化物」という曲を作った。その詞にいきづまり七転八倒してなんとか書き上げ、歌を吹きこんだ直後に彼はくも膜下出血で倒れ、活動をしばらく休止することになった。

 同書では、役に化け奈落の底からせり上がる姿を歌った「化物」を、休養明けの武道館公演1曲目に選んだことも語られている。それを読んだ後だったから、現・勘九郎による「恋ダンス」は、父・勘三郎の歌を書いた星野に対する返礼であるような印象を持った。

 星野は『いのちの車窓から』において、2013年夏に開頭手術を受けてからの感覚の変化を綴っている。メガネをかけている彼は、以前から窓の内側から外側をながめている感覚があった。さらに開頭手術後は、頭のなかにいる小さい自分がロボットのように自分を操縦する気分であり、窓から外をながめる感覚が強まったというのだ。

 もともと俳優は、自分とは違う役のなかに入る役割であり、窓からながめる仕事に喩えられるだろう。また、同書で星野は、病気療養中に別人としてアカウントをとり、Twitter上で友だちを作ってさびしさをまぎらわしていたと明かしている。これも窓越しに外を見る行為といえる。彼は、身の回りでおかしいと思うこと、自分の好きなものなどを詞やエッセイにしてきた。そうした観察眼も、直接見るのではなく窓を通してみるかのごとき、距離をとった冷静さでなりたっていた。療養を機に以前から持っていた窓越しの感覚が強まり、その自覚も増したということらしい。

 近年のインタビューや本のなかで星野は、心境や創作態度の変化についてたびたび話している。以前は自分が好き、面白いと思うことを押し出そうとするエゴやナルシシズムが強かったが、今では頭で考えるよりもっとありのままに表現するようになった。大まかにまとめると、彼はそんな風に発言している。

 また、1曲目に「化物」を収録した『Stranger』(2013年)から『YELLOW DANCER』(2015年)への変化で大きかったのは、ダンサブルな音楽になったことだった。かつては固有の視点で語るシンガーソングライターといったイメージだったが、『YELLOW DANCER』では「SUN」に代表される通り、マイケル・ジャクソンなどブラック・ミュージックから影響されたサウンドを展開した。病気療養の体験を通り抜けて内省的になるのではなく、むしろ肉体的な音楽へとむかったのだ。その延長線上で「恋」の大ヒットも生まれた。

 星野は高校時代にバンド活動を始める一方、日本民族舞踊部に入部したという人なので、踊ることには慣れている。だが、「逃げ恥」エンディングの「恋ダンス」をした俳優たちのなかで、彼が突出して上手い、テクニカルだというのではなかった。

 星野は『いのちの車窓から』で同ドラマに主演した新垣結衣について、若くして有名になった女優には珍しく、普段の状態がニュートラルで普通であることを褒めている。そこには、美しく可愛い人気者が普通でいることの貴重さというニュアンスがある。一方、星野は特に美男子ではないものの、優しさや誠実さを醸し出し、好男子として受け入れられたキャラクターだ。いってしまえば普通の人なのだが、誰もがどこかに持っている妙なこだわり、変なくせを表現して滑稽さを感じさせたり、人のよさをにじませて好感を抱かせたり。そんな存在だし、「恋ダンス」でも普通の人としての魅力があった。

 星野の立ち居振る舞いで覚えているのは、2014年12月の横浜アリーナでの退場エピソードだ。初日は弾き語り、翌日はバンドで行われた公演の2日目にハプニングは起きた。ライブが始まり数曲歌った星野は「身体的サプライズ」があったと話してからまた数曲歌った。そして、「出てきた瞬間にめっちゃウンコがしたくなって……。トイレ行ってきていい?」と告げ退場してしまったのである。彼が不在の間、ステージに残されてしまったバンドは、とりあえず演奏して場をつないだ。この場面はDVD『ツービート IN 横浜アリーナ』に記録されている。さすがに5分におよんだトイレ待ちバンド演奏は編集され短縮されているが……。

 ありふれた生理現象をめぐるこの滑稽な場面での観客の笑い、バンドメンバーの戸惑いには、ある種のあたたかさがあった。病から復活してまだ間もない頃だったから、そこに居合わせた人の間には、体に無理はさせられないという思いもあったはず。生きていればいろいろあるってことをみんなが受け入れたというか、独特の空気があった。星野の普通さについて考えると、そのことを思い出す。今ふり返ると、人々が他人の「普通」を受け入れた場面だった気がする。

 先に触れた通り、『YELLOW DANCER』は方向性がブラック・ミュージック寄りになったアルバムだった。ただ、ファルセットを使う場面もあるとはいえ、ボーカルはブラック・ミュージック的なかっこよさを追求したものではなかった。星野はブラック・ミュージック的な踊れるリズムを志向すると同時に、日本で生まれ育った自分が自然に吸収してきた歌謡曲~J-POP的なメロディ主体の曲調を融合しようとした。その結果、エゴやナルシシズムを遠ざけた詞とキャッチーで歌いたくなるメロディ、体が反応しやすいアレンジからできた、星野がいうところのイエロー・ミュージックができあがった。同アルバムの後に発表された「恋」もその路線で作られている。

 インストゥルメンタル・バンドのSAKEROCKをやっていた星野に、歌うことをすすめたのが細野晴臣だったのは知られている(その話題も『いのちの車窓から』に登場する)。細野が組んだイエロー・マジック・オーケストラには、外国人によって誤解された日本人像を意図的に演じ、遊んでいた部分があった。細野のイエローは、戦略的で批評的だったのだ。だが、細野とは違って星野のイエローは、ブラック・ミュージックも好きだが歌謡曲~J-POPも好きな普通の日本人としての感覚をニュートラルに表現したもの。そういう姿勢によって間口の広いポップスになったのだ。

 辛い体験を経て、様々な要素を折りたたんだ形で星野源の普通はできあがっている。その普通さが、ミュージシャン、俳優、文筆家に化けるための武器となっている。星野源は、普通の化物だ。

円堂都司昭