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筆まめだった伊達政宗 送った手紙は1000通を下らず

5/7(日) 16:00配信

NEWS ポストセブン

 戦国時代の書状は、武将たちにとって唯一の通信手段であり、そのほとんどが戦場においてやり取りされる命令書であった。現代の手紙と違い、自分の心境や心情を書き記すことなど滅多にない。刻一刻と変わっていく戦場において、そのような心の内面を吐露することなどまったく必要がないからだ。

 実際に手紙を書くのは、右筆と呼ばれる秘書役が一般的で、現存する手紙の多くが右筆書きである。大量に文書を発給する立場にある武将が、いちいち自筆で命令書を書くわけにはいかないから生まれた役職だ。

 当然のことながら文字を書くことに長けた者が選ばれ、主君の赴く戦場に常に付き従い、主君の命令を文字に起こしていく。書かれた手紙に目を通した主君が、最後に花押と呼ばれるサインをする。

 つまり、この手紙は自分が出したものであるということのお墨付きを与えるのだ。そのため、武将による直筆の手紙は非常に稀といえる。例えば織田信長の自筆書状は5~6通が確認されているのみ。数ある信長の手紙といわれるものは、ほとんどが右筆による代筆となる。

 一方、自筆の手紙を数多く残しているのが、毛利元就と伊達政宗だ。家族宛の手紙が多い元就に対して、政宗は家族のみならず家臣や同僚というべき大名や公家にまで、自身の筆を披露している。それもかなりの筆まめで、数は1000通を下らない。

 自筆の手紙からうかがえるのは、自身の信頼する家族や一族の武将などに対して、あけすけに自分をさらけ出しているということ。一般的な命令書では武将たる威厳を保つ名目があるが、家族宛や信頼のおける家臣宛となれば、話は別だ。

「特に、芸事にも長けた政宗は自筆書状を残した武将のなかでも抜群に字がうまい。彼は伊勢物語を書写して襖絵に残すなど、書に対する自信が相当あったようです。ですから、彼には自分の筆を周囲の人たちに見てほしいという気持ちもあったのではないでしょうか」(静岡大学名誉教授・小和田哲男氏)

 右筆書きとはいえ、思わず自分の心情をこぼしてしまう手紙もなかにはある。そこからは、血で血を洗う戦場に生きた武将たちの生々しい人間味を垣間見ることができる。

※週刊ポスト2017年5月5・12日号